あの地震でとうとう政宗公の胸像にもダメージが、、、。 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

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どうも、すこっちです。(^^ゞ

 

果たしてこれは、全国ニュースでも報道されたんだろうか?もちろん県内ニュースでは大々的に報道されたし、新聞記事にもなっているんだけど。

 

あの2/13(土)の深夜の地震。

 

この影響は思わぬところにもダメージを与えていた。なんと、我らが伊達政宗様の初代騎馬像の上半身=胸像が仙台市博物館の裏庭に飾られているんだけど、この胸像の独眼竜の象徴とでも言うべき、

三日月の前立てがポッキリと折れてしまったのである。↓

 

伊達政宗胸像のかぶと破損 仙台市博物館、またも臨時休館 | 河北新報 (kiji.is)

 

この胸像(正しくは馬の部分まであったのですよ)が出来たのが1935年だから、今から実に85年前。

この間、太平洋戦争もあったし、金属回収令によって間一髪、溶かされる寸前だったこともあった。その時はさぞかしぞんざいな扱いをされたと思うんだけど、どっかに引っ掛かってポッキリと折れそうなんだけど、不思議と折れなかったんだね。その後も宮城県沖地震に東日本大震災と立て続けに大きな地震が宮城県を襲った分けなんだけど、それでも折れることはなかった。あんなに長くて細いのに結構タフだったんだね、あの三日月って。制作者の小室達(こむろとおる)さんの腕がピカ一だったという証明になるのかな?

 

それとも、伊達政宗様のあの辞世の句。

 

「曇りなき 心の月を 先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」

 

訳「先のわからないこの世だが、夜に月の光を頼りに道を進むように、自分が信じた道を頼りにただひたすら歩いてきた。」

 

どんな苦境や困難にあっても、自分の信念を貫きとして生きる。その証であり、道しるべがあの「三日月」だった政宗公。コロナ禍という未曾有の危機を乗り切ろうとしている東北の人々の身に降りかかった、東日本大震災から10年を迎えようとする矢先の福島県沖の大地震。そう、福島県と言えば、文治5年の奧州合戦で伊達家の始祖朝宗公がその戦功を認められ、頼朝公から拝領したのが陸奥国伊達郡(現在の福島県伊達市)なのです。自らが築いた62万石の居城のある地で大きな二度の震災に遭い、伊達家のスタート地点とも言える地で節目の年に起きた大地震。そこで、シンボルの前立てが折れた。

 

これは単なる偶然か?それとも運命のいたずらなのか?不思議な巡り合わせと言うほか無い。

 

まー、そんなことを考えているのはアタシぐらいのもんだろうけど、そういう思考で考えてみると、今回の地震も少しはミステリアスに感じませんかね。(^_^)

 

でさ、確かに初代騎馬像(まー今は胸像だけど)の三日月はポッキリと折れちゃったよ。折れちゃったもんはしょうがない。アロンアルファでくっつけるって分けにもいかないしね。でもあれ、ブロンズなんだから、それ相応の所に修理に出して、それ相応のお金を掛ければ、元に戻る話だし。なにより、現役の2代目は傷1つ無くピンピンしているんだから、心・配・御・無・用。

 

ただ、これで、仙台市博物館はしばらく休館になっちゃったね。

 

コロナ禍が終息して、みなさんが大手を振って宮城の地を訪れた際には、ぜひともこの三日月が折れた政宗様のお姿も目で見て、写真に収めて頂きたい。そしてね、実は宮城県には同じ型の伊達政宗様の騎馬像がナント5体もあるんです。1体目は仙台城にある現役さん、2体目は今回の前立てが折れた博物館裏の初代さん。3体目は岩沼の竹駒神社にある第1号の試作品。4体目は以前アタシがブログに書いた小室達さんの出身地の柴田町にある元仙台駅展示バージョン。そして最後の5体目が仙台駅の牛タン・すし通りの奥にお目見えしたニューフェイスとなっております。(一応、作者は違うが岩出山駅にもある)

 

全部の騎馬像を巡る旅っていうのも、なかなか乙なもんじゃありませんか?

 

現役さんの騎馬像を見に仙台城に足を運んだら、ひょっとしてこの私、「すこっち」に会えるかも?

 

そんな時は必ず来ますよ、それまでみなさんの「曇りなき心の月」を先立てて、頑張りましょう!(^o^)