俗っぽい人になってはいけない | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^^♪

 

私が結婚して今年で23年になる。あと2年で銀婚式リーチである。

 

思えば、アタシ以上にかみさんの方が苦労が多かったんでしょう。こんな、普通のサラリーマンに飽き足らず、ウィスキーを追いかけてみたり、突然ボランティアガイドをやり出したりと、自由奔放なすこっちをよくぞ見限らずに、頑張ったあなたには感謝の言葉しかありません。m(__)m

 

さて、あたしが今の感性でもって、かみさんと知り合った当時の自分を振り返ってみると、ある結論に達するのです。当時のアタシは人並みに仕事をし、人並みに遊び、人並みに恋愛をしていた。まあ、根はまじめな方なんで、ドロドロの火遊びをする分けでもなく、危ない遊びに手を出す分けでもなく、そこそこに恵まれた良い時代を謳歌してしたように思います。

 

あらゆることが楽しいと感じられた時代だったけど、ただ一つ、これだけは良かったなと、はっきりと言えることがある。それは、アタシが俗っぽくならなかったということ。なんでも自由にやれたこの時代、世俗に染まるということは、イコール時代の波に身を委ねて、自分の考えやポリシーを持たずに自由奔放だけ、楽しい物質的な欲求にだけ翻弄されていたら、たぶん人間としての柱が歪んだまんまで今の人生を歩んでいたかもしれない。別に尖がっていたわけではないけれど、 それなりの価値観を十分に持ち合わせ、気の合う友人とお互いの考えをぶつけ合ったりしていたから、自分なりの世界観がしっかりと確立されていったような気がする。そういう意味では友人にも感謝である。

 

でね、アタシは思うんだ。ひょっとして、世俗に染まった俗っぽい人っていうのは、結局俗っぽい人としかくっつかないんじゃないかなあって。異性にしても同性にしても、同じような周波数を持つ人たちは集まりやすい。その場は盛り上がって、なんとなく付き合ったとしても、感じる違和感を払拭出来ずに離れてしまうことが多いのではないだろうか?

 

そういう意味では、うちのかみさんはもちろん俗っぽいところは持ち合わせていたけど、なんとなく世の中を斜に見ていて、世俗という波には飲み込まれずにサーフィンしていたタイプだったんじゃないかなーと思うのであります。

 

このブログをご覧のみなさんは人生の「敦盛」を舞っていらっしゃる最中の方がほとんどでしょうから、いまさら自分の生き方を見ず知らずのブロガーにあーだこーだと言われたくはないでしょう。

 

でもね、今からでも決して路線変更が出来ないわけじゃあ、ない。残りの人生を好きなように行きたい。それはいいでしょう。でも、俗っぽくなって欲しくはない。世俗に染まってほしくはない。染まっても許容範囲の中でやって欲しいんです。確かに楽で楽しいかもしれない。でも、そこにはNEXTや TO BE

CONTENUEはな無いんだよ。

 

10年、20年、さらにその先を見つめたとき、果たして今のままだけでいいのかな?

 

心の灯を無くした「幽霊船」にだけはなって欲しくはないのです。

 

だって、わたしたちの航海はまだまだ終わらないのだからね。!(^^)!