電話を切ったあとの愚痴には気をつけましょう | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^_^)

 

これもねー、会社でよく見掛ける光景ではないでしょうか?

 

例えば、自分があまり好きでは無い人からの電話があったとする。自分がその人のことを嫌いなことは周りの人も知っているし、周りの人も電話の主に嫌悪感を持っていたとする。

 

自分がその相手との電話が終わった瞬間、恐らくこんな会話が始まるはずだ。

 

「ねえ、ちょっと聞いてよ!○○さんがさ、××について△△してくれだって。なんだろね、あの相変わらずの命令口調。いい加減して欲しいよ。あたしゃ、あんたの部下じゃないつーの。」

 

まあ、相手に対する愚痴や不平不満の表現はいろいろなんで、そこんところは全てカバー出来ませんので、大目に見てもらうとしても、こういう電話を切ったあとの周りに聞いてよ的な「アピール愚痴」をする人というのは結構多いものです。

 

アタシの職場でもそういう光景を見ない日はないかもしんない。(>_<)

 

でもね、この一見何の変哲もない一シーンのように感じてる職場の風景。これをですよ、冷静にあなたの俯瞰の目でもって、見てみて欲しい。そもそも公の場で愚痴を言う行為というのは見苦しいもの。それを、本人がいないところでその人に対する不満をぶちまける。周りもその点に関しては共感できる部分があるから、それに乗っかって増長する。面白がる。「ワハハ」、「おほほ」でその場ははい、おしまいとなるわけだが、これって果たして職場において、必要な言動なんだろうか?

 

こんなことを突き詰めて考える人なんて、たぶんいないんでしょう。ひょっとすると、アタシだけ?

 

だけどさ、その人がいくら嫌いでも、相手の言動に不満を持っていたとしても、そこが会社である以上、それはさ自分の心に留めておくべきもんであって、欠席裁判で周りの人と憂さを晴らすっていうのは、明らかに不健全のような気がするんです。

 

仮に愚痴りたければ、場末の居酒屋で憂さを晴らすか、聞かされる方はたまったもんじゃ無いけど、家に帰ってからカミさんに愚痴を聞いてもらうとかね。

 

大事なことは自制心。そんな行為をしている自分が果たして周りからどんな風に見られているんだろうって想像してみることなんじゃないのかな。確かに、フラストレーションを共感している仲間と溜めずにその場で昇華させるというのは、実は精神衛生上はいいことなのかもしれない。

 

上司と部下とか、売り手と買い手とか、言いたいけど言えないっていうしがらみはあるでしょう。

でもさ、その「アピール愚痴」は所詮、どこまで行っても「負け犬の遠吠え」なんだよね。

 

だったら、言わない。ましてや周りを巻き込まない。いい加減、そこからいつ卒業すんのよ?

いつまでそんな、「一緒に傷を舐め合いましょう」キャンペーンをやり続けるつもりですか?

 

そんなことより、そういうヤツよりも自分は心理状態が一段高いところにいるんだと、思うようにしてはどうですか?あいつは心の貧しいヤツなんだなあと、思うようにしたらどうですか?今は自分の方が立場は下だけど、こういう地味な取り組みが実を結ぶことはきっとある。そう、心に誓った方がよっぽど建設的だし、自分のスピリッツを燃やしてるって感じがしますよ。

 

じゃあ、すこっちと約束してください!

 

「明日から職場で、電話の相手に対する愚痴は周りと共有しない。」

 

例えば、これが全国の職場で実行されたとしたら、アタシはノーベル平和賞もんかもね。(笑)

 

間違いなく、神様は見ていますよ、そういう言動を、そういう姿勢を。

 

今日は最後に岡田啓介の言葉を紹介して、締めたいと思います。

(岡田啓介を知らない人は、ググってみてください)

 

『ひそかに清く自己を保存せよ。自分の周りは荒れるにまかせよ。』

『コンクリートの隙間に生える雑草が、何故だか無性に美しく思えた』