どうも、すこっちです。(^_^)
コロナ禍のせいでというか、人と関わることが以前より少なくなった。
もちろん、会社勤めをしているので会社の連中との接点はあるが、飲み会もNG、社外のコミュニティも限られてしまった今、カラオケを唄う機会も無く、本当に限られた輪の中で毎日を過ごしている。
以前だったら流していた会社の人々の気にも止めない発言や思考。そんなことにフォーカスをしてみると、ふとあることに気付いた。
それは、ズバリ世の中には同じぐらいの年齢でも三種類のタイプがいるということ。
①思慮の浅い人
②思慮が人並みな人
③思慮が深い人
これはあくまでアタシの主観なんですが、分かり易く言うと①の人というのは、目の前で起きた出来事や話題に対して、ピンポンで打ち返すようにすぐに言葉を口から発する。それでいて、そこから話題を膨らませたり、発展させたりする拡張性に乏しい。まあ、ニュースとかはあんまし見ないんでしょうね、きっと。次の②の人というのは、ピンポンで打ち返すのは①と同じぐらいなんだけど、①の人よりは多少話題の拡張性があるって感じかな。
そして、③の人。こちらは、物事に対して俯瞰で見られる人。メタ認知なんて言い方もしますね。よくよく情報収集もされていて、好奇心が旺盛で、どんなことに対しても自分なりの考え方をきちんと持っている人と言えるでしょう。そんな人は、「人はなぜ生きるのか?」みたいな問答じみた問いかけにも、「面白そうだな。」「はて、なんでだろう?」と正面から受け止めて、答えを導き出そうとする人、なのかもしれません。①や②の人だったら、まともに組み合ってはくれないでしょうからね。
じゃあ、この「思慮の差」とはどうして生まれてしまうんでしょう。
アタシが思うに、それはロールプレイングゲームで言うところの「経験値」の差なんだと思う。
学校を出て、就職をして社会人となり、人によっては恋愛、結婚を経て家族を持つ人。多くの楽しいことや悩み事を抱えて人生の試練を味わう人もいる。けれど、人間が一生のうちに実際に経験が出来ることなんて、限られている。社会人となってからは、会社勤めの人だったら平日は仕事に忙殺され、自分が自由に出来る時間なんてほんの僅かだ。
でも、そんな僅かな時間でも、人より「経験値」を稼ぐ方法がある。経験をしていなくても、経験のイメージが脳にインプットされる方法。それが、「疑似体験」なんだね。映画にドラマにお芝居。音楽に美術鑑賞。そして、なんと言っても「読書」でしょうね。やっぱり、読書をしている人の思慮の深さはハンパない。人に負けない読書量があれば、ヘタな学歴なんかよりよっぽど価値があるかもしれない。
つまり、「経験値」=「実経験値」+「疑似経験値」なのである。実経験値が少ないからといって、あきらめる事は無い。その分、疑似体験でカバーしてあげればTOTALの経験値はアップする。むしろ、人生をより豊かなものにするためには「疑似経験値」を増やしてあげて、深い思考や思慮が出来る人間になった方が楽しさは無限大である。
人生というロールプレイングゲームを楽しめるかどうかの鍵は「疑似体験」にあり。
歳だけを取ったつまんない人になってはいけないよ。