すこっち、「あゝひめゆりの塔」を見終わる。 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

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どうも、すこっちです。(^_^)

 

ふと気が付けば、お盆休み。

 

今年はコロナ禍の影響で帰省にも「ちょっと待った」が掛かった。(そうは言っても帰るヤツは帰るんでしょうけどね)

 

お盆休みと言えば、墓参り。そして、終戦記念日。

 

コロナ禍は天災に近いものだと考えると、戦争は明らかに一部の連中のつまらない意地の張り合いが引き起こした「人災」である。起きてしまったことは、今更どうにも出来ないが、少なくとも人類は同じ過ちを繰り返してはならない。

 

今日、アマゾンプライムで「あゝひめゆりの塔」を鑑賞した。

 

前から見たいと思っていたこの作品。まあ、有料動画サイトでも契約をしないと、見る機会も無かったのもまた事実。お盆休みだし、ちょうどいい機会だった。

 

それでは、行ってみよう!すこっちの見終わって感じたことベスト4

 

その1 「教師になってるはずなのに、なぜこんなことに、、、。」

 

この作品、師範学校(学校の先生になるための学校ね)の女子学生が主人公となっている。

当時、学校の先生というのは市民からも一目置かれた存在であり、憧れの存在。戦禍に遭わなければ、フツーに学校の先生になれたはずなのに、、、。(-_-;)

 

「自分の運命を呪うしか無い」なんて、よく使われるフレーズですが、本人達からしたら、呪っても呪いたりないぐらいだよ。だいいち誰を呪ったらいいんだか。

 

その2 「出たー、日本軍の名誉の自爆テロ的な刷り込み」

 

日本の戦争映画を見ていると、だいたい出てくるよねー「米軍から辱めを受けるぐらいなら、自ら命を絶つのが望ましい」的なまーいわゆる刷り込みなんですかね。なんかこの辺がよー分からん、というか戦後に「人命は地球よりも重し」って言った日本の総理大臣がいたんだけど、いわゆる武士道的な切腹が名誉だとか、自死がプレミア感ありまくりだとか、そもそも間違った考えですからね。

 

と言っても、当時の人たちだってそんなことは当然分かってたよね。フツーの感覚の持ち主なら、親からもらった大事な命をね、自分から死んじまおうなんて思うはずが無い。やむにやまれずに死を選んだって感じなんでしょう、きっと。人命軽視の旧日本軍に大喝!いや∞(無限大)喝!!だわね。(>_<)

 

その3 「好事魔多し、気の緩んだ時が危なーい」

 

これは、映画ってことでストーリー上の盛り上げ要素もあるんだろうけど、この作品でも気が緩んだ時にやられてしまうシーンが随所に見られる。まずは、主人公の吉永小百合の弟が志願兵になり、有頂天になって木に登っているところを米軍の機銃掃射で死亡。続いて、女学生達が開放感から川で水浴びを始めてたら、日本軍の飛行機かと思っていたら米軍で、これまた機銃掃射で無差別殺戮。

最後は、海岸で敵の銃撃で亡くなった校長先生の遺体を運び込もうと言い出した女子ーズの圧力に負けて、やめときゃいいのに海岸に出陣。優しさと勇ましさと心強さをアピールした師範学校の男子が銃撃の餌食となる。

 

もうね、「志村うしろー」的なヤツね。臆病なアタシだったら絶対にそんなことしないな、って思うんだけどねー。いや、でもこれって良い教訓なのかも。コロナ禍も油断した奴らが感染するんだよってことと解釈すれば、これを反面教師にしろってことだったりして。

 

その4 「一度、現地に行ってその思いを噛みしめてみたいわね」

 

日本で唯一の地上戦が展開された沖縄。残念ながら、アタシは行ったことがなんだけど、こういう戦争の悲惨さを訴える映画なんかを見るたんびに、思う。実際の地上戦とはどんなものだったんだろう?戦争に巻き込まれた一般市民はどんな思いでいたんだろう、崖から飛び降りたんだろう、手榴弾のピンを自ら外して自爆していったんだろうって。

 

この映画の最後の方で、足手まといになった重傷者に青酸カリ入りの牛乳を飲ませて葬るシーンがあるんですが、分かっていながらその牛乳を飲まなければいけなかったときの気持ちってどんなだったんだろう?日本軍がさっさと降伏してさ、「ここに重傷者がいるよー」、「保護してくださーい」って米軍に救助を求めたら、ひょっとして助かったかも知れない命。当時の上から目線で押しつけた軍部の常識は、明らかに人の道に外れた間違った常識でしか無い。だってさ、瀕死の人がいたんだったら、必至に救う方法を考えて、成功するかどうかは別にして、ベリーベストな行動をするのが人としての「誠実さ」ってもんでしょう。

 

当時とすれば、それが「誇り高き○○」みたいな扱いだったんだろうけど、そう思うと刷り込みって怖いなあ~。だから、ある意味もし、キリスト教が日本人に刷り込まれていたとしたら、こういう境地には達していなかったのかもしれない。

 

まあ、コロナ禍なんでね、沖縄の地を踏みしめられるのはいつの日かってことになるんですが、アタシ的には美ら海水族館よりも首里城よりも激戦地行脚なるものをしてみたいと思う今日この頃です。

 

ご覧になったことが無い方は、お盆休み中に「戦争を考える人」になってみては!

 

吉永小百合さんの相変わらずの美貌も必見ですよ。(^o^)