すこっち探検隊が行く「多賀城築城に秘められた親子の悲しい物語」 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^_^)

 

毎日、毎日雨ですねぇ~。

 

傘さんも休まる暇が無い。(>_<)まあ一年間で見れば稼ぎ時ってことになるのかな。

 

人間なんて勝手なもので、雨降りなら雨降りで「もう、うんざりだ~。」と言うし、暑い日が続けば続いたで「あぢ~よー。」と口からすぐにそんな言葉が漏れる。そうは言っても、「心頭滅却すれば火もまた涼し」なんて芸当が出来るのは快川紹喜ぐらいのもんでして、思ったこと、感じたことを溜め込まないのもデトックスであり、人間っぽさでもある。

 

さて、本題。

 

時は、724(神亀元)年大野東人が陸奥国のとある地に城を築いた。その名は「多賀城」。「城」と言っても、当時の城は「柵」とも呼ばれ、小高い丘に築かれた館の周りを柵で囲っただけのものだった。

 

畿内から陸奥国へと勢力を拡大しつつあった大和朝廷のよく言えば、「統一」悪く言えば「侵略」の前線基地だった「多賀城」。大河ドラマ「炎立つ」を観た人は分かるんだけど、教科書で習うきれい事ばっかりではなく、そうとうドス黒い陰謀が渦巻いていた陸奥国侵攻作戦。

 

そんな「多賀城創建」にまつわる、聞くも涙、語るも涙の物語。

 

昔々の日本には「人柱」とう悪しき風習がありました。お城なんかの建造物を建てたときに、たやすく壊れたり、落城の憂き目に遭わないようにと生きている人を生き埋めにして「永久の護(まも)り」とするんだと。(まったく、たかが建物と人の命とどっちが大事なんだよってね)

 

なにしろ大和朝廷からすれば、ガンダムの一年戦争のア・バオア・クーのような位置付けの多賀城ですから、それ相応の「人柱」を立てないと格好が付かない、と当時のお偉いさん達は考えた。

奥州鎮護の城としていつまでも安泰を祈るためという、ご立派なへりくつを正当化するため、村で評判の良い立派な人物を埋めると神様もお喜びになるであろうという結論に至った。(あのねー神様が一番喜ぶのは、人を生き埋めにしないことだと思うんですけど、、、。(-_-;)

 

人選の結果、村の正直者で親子3人暮らしの百姓の家長に白羽の矢が留まった。夫婦そろって正直者で情け深く、一人娘は美しく大変親孝行だった。それを聞かされた親子の驚きと嘆きは落胆以外のなにものでもなかった。母と娘は父が人柱と決まると、毎日毎日付近の沢に行って神仏に祈った。

 

しかし、運命は非情である。白装束に身を固めた父は、妻子や村の人々に別れを告げ、役人に連れられていく。その父の後ろ姿に、妻も娘も泣き崩れてしまった。式が終わって、村人が母子を慰めるために家を訪ねると、二人の姿が見えない。辺りを探すと、母娘は大石の上で息絶えていた。村人は二人を哀れに思い、ねんごろに葬った。

 

その母娘が立っていた石には二人の足跡が残されていた。この石は「母子石」と呼ばれ、現在のここの地名「母子沢」の由来にもなっているんだそうです。

 

たまたま昼食を摂った、とある塩竈の食堂に置いてあった本に載っていた、この記事。

なんとも痛ましい話だよね。っていうか、多賀城のバカヤロー(正確に言うと大野東人の馬鹿野郎!)

人の命をなんだと思ってんだよ!でも、あれか当時はピラミッドにしても大仙古墳(旧仁徳天皇陵)にしても多くの奴隷が一緒に生き埋めにされたと聞くし、ある意味人権なんて無い時代だからな~。(-_-;)

 

この記事を読んだアタシが行かないわけにはいかない!

 

なので、急遽「すこっち探検隊」の出動と相成りました。

 

早速Google mapで検索すると出てきましたよ、「母子石」が。

 

ちょうど大きな駐車場があるミニストップの付近。

 

こちらが、その「母子石」になります。

 

 

 

 

ひっそりとし過ぎてまして、ヘタをすると気付かずに通り過ぎるかもしれません。

塩竈市教育委員会の立派な説明書きがあります(こういうのが無いと分からない)

 

そして、こちらがお待ちかねの「母子石」です。

 

 

雨上がりで湿っていたからなのか、長年の雨風にさらされたからなのか、母娘の足跡らしき形はちょっと確認は出来ませんでした。(昔の書物の写真にはくっきりと足跡が確認出来た)

 

今となっては、だあれも見向きもしない感じがしたこの「母子石」。

 

アタシはしっかりと手を合わせて来ましたよ、親子3人の御霊に。

 

観光名所と言うと、華やかで知名度の高いところばっかりがモテはやされる。

マイナーなところは、知る人しか知らないから余程のコアなファンでも無い限り、目を向けない。

 

でもさ、その歴史や背景、物語を知れば行ってみたいという好奇心がくすぐられる人もいると思うんです。御釜神社やここは、まさにそんな場所なのかもしれません。

 

興味がおありの方は、足を運んでみてはいかがでしょうか?

 

http://shiomo.jp/archives/2887