「すこっち探検隊が行くTO龍雲院」 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^o^)

 

風の向くまま 気の向くまま 思い付いたら 足が向く。

 

行かずに 後悔するよりも 行って 発見 見て 楽し

 

無くしちゃいけない 好奇心 それが すこっち探検隊。

 

ちょっと旅番組の名調子のナレーション風でスタートしてみました、「すこっち探検隊」。

 

今日紹介する場所は、宮城県仙台市の中でもかなり渋さを感じさせる場所なのであります。

 

それは、青葉区子平町にある「龍雲院」。

 

ここを訪ねてみることにしたのは、ある新聞記事でした。

 

 

みなさんは「林子平」って知っているのかしら?

 

今の日本史の教科書にも、一応名前は出てくるでしょうかね。この人、少々マイナーなんですが、仙台にこんな凄い人がいたんだ的な素晴らしい思想家だったんです。

 

江戸時代(1738年~1793年)仙台藩六代藩主伊達宗村公のご時世に兄を頼って仙台に移り住み、フリーランスとして江戸や長崎まで足を運んで見聞を広めます。蓄えた知識でもって、当時鎖国の真っ只中で海外の事情には疎かった幕府の内角高めをズバッと付くように、「三国通覧図説」ではロシアの南下を重視して蝦夷地(北海道)が日本領であることを主張。「開国兵談」では海防の重要性を説きます。

 

当時とすれば画期的な意見のはずだったんだけど、いかんせん時代が彼の考えを受け入れられなかった。いたずらに世間を惑わす不届き者として、蟄居の身となった11ヶ月後に彼は失意のうちに亡くなってしまうのです。

 

その「林子平」先生のお墓があるのが、この「龍雲院」です。

 

「まあ、仙台市内だし、ナビを頼りにして行けば簡単に着くだろう」と安易な気持ちで向かった、すこっち探検隊。しかし、その考えは甘かった。

 

とにかく、この子平町周辺。道幅は狭いわ、一方通行は多いわで、ナビで示すとおりに行ってもなかなか辿り着けない。(>_<) すこっち隊長は運転手のカミさん隊員のご機嫌をなだめるのに一苦労でした。

 

結局、車もどこに駐車したらいいかもよく分からないまま空き地に止め、見えてはいるのに辿り着けない「龍雲院」を徒歩で目指すことになった、すこっち探検隊。(まあ、探検隊にアクシデントは付きものですからね)

 

どうにか、無事到着!こちらが、その「龍雲院」です。

 

 

 

門構えはこじんまりとしているけど、風格というか趣が感じられますね。

 

入ってすぐに私たち探検隊の前に現れたのは、なんと「林子平」が残した「日時計」だった。

 

 

 

どういう仕組みで作られているのかは分からないが、これを撮影したのがちょうど昼の12時半頃。

照らし合わせてみると、なんとなく影の位置がそれっぽいようにも思う。

 

以前アタシのブログでも紹介した「昔の時刻表示」は一刻=2時間だから今の時間感覚と比べればずいぶんとゆったりとはしていたんでしょうが、時計を持っていない庶民にとっては「日時計」も貴重なツールだったのでしょうかね。(でも、曇りの日や雨の日はどうしたんでしょうね)

 

そうして、我々探検隊のお目当ての「林子平」先生のお墓がこちら

 

国の指定史跡になっている。

 

 

石柱の奥に見えるお堂の中に小さなお墓がありまして、それが、林子平の墓。

 

まあ、雨露を凌ぐように囲われてはいるものの、なんとも小さいお墓なのです。

なんと言っても「六無斎」ですから、ある意味これで十分と言えば、そうなのかも知れません。

 

この「龍雲院」。実は伊達家との関係もとっても深い。さっきの本堂にもちゃーんと五七の桐の門と九曜門が使われていたりする。一角にはちゃーんとこんな伊達家とのつながりを示すものも、、、。

 

 

さらに、この「龍雲院」には「林子平」の他にもう1人、仙台が生んだスーパーヒーローのお墓があるのです。それって、誰のこと?伊達政宗?いえいえ、彼のお墓は瑞鳳殿でしょう。違う、違うそうじゃなーい♪

そのスーパーヒーローは明治維新の前、幕末に現れました。

 

仙台が生んだスーパーヒーロー さて、君の名は?「細谷十太夫(ほそやじゅうだゆう)」

 

詳しい説明書きはこちらをご覧あれ

 

 

まあ、早い話がですね、奥羽越列藩同盟を組織して新政府軍に真っ向から戦いを挑んだ仙台藩。

英雄「伊達政宗」っていう金看板も今は昔。雄藩として名前だけは売れていた仙台藩だが、そもそも大坂夏の陣以来戦というものをしていない。最新兵器をずらりと並べた新政府軍には全く手も足も出なかった。ところが、唯一新政府軍を震え上がらせるランボーのような存在があった。それが、「細谷十太夫」

彼が組織した「衝撃隊」(別名 鴉軍(あぐん)。これがですね、三十余戦ことごとく勝利を収める無敵の部隊だったのであります。無敵の勇者だった十太夫はその後、西南戦争や日清戦争にも従軍し活躍する。

 

こんだけ凄い彼の晩年がまた凄すぎる。

 

な、なんと彼は以前から尊敬していた「林子平」の眠るここ「龍雲院」の住職になってしまうのです。

 

 

これが、「細谷地蔵」

 

そんでもって、こちらが仙台の勇者! 細谷十太夫のお墓

 

負け知らずの勇者のお墓参りをすれば、ひょっとして勝ち運が巡ってくるかしら?なあんてよこしまな考えは置いといて、うーん父の日の今日、アタシは貴重なお墓参りをすることが出来ました。

 

方や天下の徳川幕府に正面切ってもの申し、命を掛けて海防の重要性を説いた林子平。

 

方や圧倒的に不利な戦で、忍者の如き部隊で新政府軍を恐怖に陥れた細谷十太夫。

 

名の知れた武将でもなんでもないこの2人。

 

でも、等身大のいぶし銀の光を放つ立派なヒーローだとアタシは思う。

 

楽天イーグルスもベガルタ仙台もどこに目を付けてるんだか。勝ちたかったら、連戦連勝の軍神「細谷十太夫」の墓参りをするっきゃないでしょう?


宮城県に住んでいる人は、もちろんのこと、他県の方も「子平町迷路」にめげること無く、是非とも足を運んでみてはいかがでしょうか?

 

アタシは行くことが出来なかったけど、新聞に載っている「子平堂」の子平まんじゅうが食べたかったなあ~。(>_<)