「来た球を打つ」それだけじゃあ、人生楽しめないよ。 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^_^)

 

コロナウィルス感染者が前日と比較すると全国で24人もいたそうな。(>_<)

 

名前だけの非常事態宣言も解除され、学校も再会し、繁華街への手綱も緩められた。

しかしながら、本来の目論見とすれば、感染者がみるみる減り、感染して入院していた人たちが次から次へと退院し、相対的な感染者はダウンカウントされていくはずだったんでしょう。

 

でも、そうは問屋が卸さない。緊張の糸が緩んだ一部の人たちが酒場に繰り出せば、マスコミがほら見たことかと騒ぎ立てる。ニュースやワイドショーネタには格好の獲物である。でもね、ここで私たちは踏みとどまらなければならない。想像してみて欲しい!一時の気の緩みで、飲みに行って、仮に例のヤツをもらっちゃったとしましょう、きっとこうなるよ。

 

①会社が騒ぐ→会社はあなたに同情などしてくれない→復帰しても、コロナ野郎のレッテルを貼られる

 

②隣近所が騒ぐ→ただ好奇心で面白がるのが近所という外野→町内会の朝の掃除の時が、、、。(-_-;)

 

③家族が騒ぐ→家庭内感染の恐怖→きっとカミさんには一生言われ続けるでしょう。(-_-;)

 

あなたはどちらを選択したいですか?

 

さて、今日のまくらはこのぐらいにしまして、本題に移ります。

 

ウチのカミさんは、感じたままを素直に言葉に出す。

 

ウチのカミさんには茶目っ気や遊び心が足りない。

 

冒頭からカミさんの愚痴かよとお思いにならないで欲しい。

 

これは家庭内に限ったことでは無い。

 

職場でも、感じたことをストレートに口に出してしまう上司。仕事上の不満を即座に「クソ○○」というふうに汚い言葉遣いでその場の空気を悪くしてでも、自分のフラストレーションを昇華しようとする同僚。

会話にウィットもユーモアも潤いも感じられない毎日。

 

こういった言動を野球に例えるならば、バッターボックスに立ってピッチャーが投げたボールにタイミングを合わせて、ただバットを振っている。いわば、「来た球を打つ」それだけなのである。

 

「はあ?それが野球じゃないのかい?」

 

まあ、見た目は確かにそうなのだが、実はこのバッターとピッチャーの間には目には見えない駆け引きが存在する。ピッチャーだって自分の好きな球を勝手に投げているわけでは無い。ここにキャッチャーのリードも存在する。18.44メートル(ピッチャーとバッターの距離ね)には三者三様の心理的な駆け引きが渦巻くのである。

 

1球目は様子をみて外角のボール臭い球から入ってくるな。2球目はインコース低め。3球目は内角高めで胸元を突いてきて、4球目は外角低めの逃げる球。と、こんな感じでバッターは配球を予想し、ピッチャーとキャッチャーは打ち取るための配球を考える。

 

ピッチャーは誘い球や内角を厳しく攻めたりして、いかにバッターを凡打に打ち取るかを考えている。

そして、バッターはそうした誘いに乗らないで、失投を待っている。

 

あんな短時間の中で、実は壮大な大河ドラマが出来上がっている。

 

実は、人生もこれと一緒なのである。

 

来た球を打つ=目の前で起きたことだけに一喜一憂し、感じたままを言葉として伝える、行動するということ。確かにそれが人間的であけっぴろげな裏表の無い純朴な性格じゃん、と言ってしまえばそれまでだが、そこで満足してしまっては、人生の面白み、旨味というものをまるっきり放棄してしまっているのと同じなのだ。

 

楽天の監督を務められた野村克也さんが著書の中でこんなことを書いておられた。

 

「何も考えずに来た球を打って、ヒットにすることが出来て、成績を残したのは長嶋茂雄と松井秀喜とイチローだけだよ。」

 

生涯にあれだけの大記録を打ち立てた野村克也さんを持ってしてそう言うってことは、それだけ

常に相手を研究し、配球を読んだりして勝負をしないと、生き残っていけないのが野球界だということ。

 

人生を面白くするのもつまんなくするのも自分次第。そこには必ず相手というものが存在するわけですから、相手の関係を良好なものに出来れば、いつでもHappy!という状況が作れるはずなのである。

 

そのために大事な鉄則は次の3つ

 

1.自分の頭の中をそのまま言葉にしない

 

2.相手の頭の中を想像する

 

3.相手のメリットと一致するお願いを作る

 

これをやるだけで、お互いの関係は間違いなく良好になる。

 

例えば、奥さんが旦那さんに庭の草むしりをして欲しいとします。

 

普通の奥さん(ウチも含む)だと、

 

「ちょっと、あなた!明日お休みなんでしょう。寝てばっかりいないで、庭の草むしりでもしてよ、普段は何もしないんだからさ。」

 

これを聞いてあなたは、草むしりをやる気になるだろうか?

 

「ちぇ、うるせーな」と言って拗ねてへそを曲げるか、

 

「はい、はい分かりました」と言って、仕方なく軍門に降るかでしょうね。

 

これをちょっと頭をひねって、

 

①「おめでとうございまーす!あなたは○○家の庭の草むしり体験ツアーに見事当選しました。

  無事に明日草むしりというミッションを完了しましたら、一番搾りという特典が待ってまーす!」

 

②「突然ですが、只今より「あっち向いてホイ三本勝負」を開催しまーす!」と宣言し、勝負を始める。旦那が負けたら、罰ゲームで「草むしり」。勝ったら、勝利特典として「草むしり」。

 

③「草むしり 時給500円でやる人いませんかー」と家庭内で触れ回る。「はい、いないの?じゃあ私が10数えたら、時給を450円に下げます。1、2、3、4(すぐに手を挙げる人が出ればしめたもの、出なかったらさらに値段を下げていく。

 

と、こんな感じでね、鉄則3原則を使って面白おかしく生活を演出するだけで、自分の要望はコンプリートできるし、人生も楽しめると一石二鳥のはず。なのに、どうして世の中には短絡的にショートカットで物事を考える人が多いのでしょうか?

 

でもね、ここに難しいテーマが存在する。それは、ズバリこれ!

 

「自分と未来は変えられるけど、他人と過去は変えられない」

 

カミさんも上司もご近所さんもしょせんは他人。

 

これを乗り越えられたら、香港とアメリカで起こっているような対立もクリア出来るんでしょうけどね。

 

人の意識を変えるというのは、一朝一夕で出来るものでは無いのもまた事実。

 

少なくとも、このブログを読んでくれているみなさんには「来た球を打つだけじゃあ、人生楽しめないよ」っていうすこっち観を共感して欲しいと思う、今日この頃です。m(_ _)m