どうも、すこっちです。(^o^)
5/18のブログで昔の時刻について書いてみましたが、今回は続編とでも言いますか昔の曜日と休日について書いてみたいと思います。
あんましキリスト教に詳しくない人でも、神様が地上界を6日間でお造りになって、次の1日を安息日=日曜日にした、なんて話は聞いたことがあるのではないでしょうか?って言うことは必然的に曜日というものが日本に伝わったのって、明治維新以降じゃないの?その答えで8割方は当たってるけど、正確には
ブブー(>_<)なんです。
実は曜日自体は、平安時代にはすでに伝わっていました。「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」で有名な安倍晋三もとい藤原道長の日記には、毎日の曜日が記されていたんだそうです。ただし、当時曜日について知っていたのは宮中の高貴な方々のみ。一般ピープルに広まることはなく、武士の時代になっても、早い話が現代の二千円札みたいに普及はしませんでしたとさ。
やっぱり、曜日が広く使われるようになったのは明治以降のようです。
じゃあ、昔の人の「休日」という概念は無かったのか?
まあ、ハッキリ言って昔は日曜日も完全週休2日制も年次有給休暇もましてや働き方改革なんてありませんでした。せいぜい盆と正月、あとは五節句を休日にするのと、毎月1日と15日を休みにするというルールもあったり、大工さんは雨が降ったら休みとか職業や地域によってまちまちでした。(地域のお祭りはお休みにしたところも多かった)商家の奉公人なんかは盆暮れとやぶ入り(旧暦の1/16と7/16)のときぐらいだったみたいです。
では、お城勤めの武士はどうだったのかといえば、これがかなりの楽ちん生活。
武士は2勤1休が基本でしたが、城に行っても大した仕事らしい仕事は無くて、勤務する多くの武士は四つ(午前10時)上がりの八つ(午後2時)下がりだったんだとか。
えーたったの4時間?昼休みを抜いたら3時間労働かよ!超ゆるゆるですやん。
実は働き方改革を先取りしてたのは、武士だったんじゃないですかね。
それで、当たり前にお給金を貰えていたなんて羨ましいなあ。(まあ、石高もいろいろでしょうけどね)
そもそも夜の照明と言ったら、行灯(あんどん)とか提灯とかろうそくとかしか無い分けですから、日が暮れたら基本的にお仕事はおしまいなんですわな。(遊郭とか居酒屋は夜から開店でしょうけど)
そう考えると、昔は「ハレとケ」がハッキリしていた。
普段はつまんない当たり前の日常が続く。でも、たまーにお祭りがあったり、節句やお正月でお休みになったときに溜まっていたフラストレーションを一気に発散する!みたいなね。(>_<)
ある意味、これはこれでバランスが取れていたっていう見方も出来るのかな。
アタシが学生の頃はまだ土曜日が半ドン(半日休みってことね)だった。
午前中だけ授業があって、お昼には帰宅してたな~。両親は共働きで鍵っ子だったから、親が置いていった食事代でパンとか買って食べていた気がする。(昔は電子レンジなんて無いからね)
半日したら帰れるってことでどこか気分はウキウキで。休みでは無かったけど、それでも十分にエンジョイできていたような気がするのよねー。
そもそも完全週休2日制度って、アメリカからの輸入なんですよね。週末を連休にする=一般ピープルがレジャーや買い物でお金を使う=国内経済が潤う、「なんで日本はしないの?」BY米国大統領。「だったらやるすか。」BY日本国総理大臣、みたいな流れなのかな。
なんでもかんでも米国というか経済至上主義に右ならえで来たんで、時代の流れって言ってしまえばそれまでなんだけど、勤勉なDNAが植え付けられている日本人には、土曜日半日休み+祝日&年末年始にお盆休みぐらいの年間休日でちょうど良かったんじゃ無いのかなあとアタシは思う。
ほとんどの人たちがそうとは言い切れないけど、土日連休の方々がですよ、どのように過ごしているのかと蓋を開けてみればね、金曜日の夜に夜更かしをして、その反動で土曜日は昼頃に起床。なんとなーく、スマホをいじっているうちに夕方になり、最初の休日が終了。土曜日の夜と日曜日の朝も結局、「遅寝遅起き」モードになり、気が付いてみたら「サザエさん」タイムみたいなね。
人間の寿命には限りがあるというのに、なんてもったいない休日の過ごし方をしてるんだー!と昔気質のお年寄りが同居していたら雷でも落とされそうなもんだけど、今のお年寄りも親も甘ちゃんだから、そういうこと言わないし、「そういう時代じゃ無い」で済ましちゃうもんね、困ったもんだよ。(-_-;)
「STAY HOME」が叫ばれてるコロナご時世なんで、難しいちゃあ、難しいんだろうけど。
アタシは「ハレとケ」を大事にするって気持ちは、心のどこかにずっと持ち続けていたいんだよね。