昔の時刻表示にちょっと入れ込んでみませんか? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

 

どうも、すこっちです。(^^ゞ

 

「STAY HOME」とは耳障りの言い言葉のように聞こえるけれど、ようは「自宅軟禁」である。

 

アウンサウンスーチーさんは実に7年半も自宅軟禁されていたんだそうです。いやー恐れ入るよ、大したもんです。今やなんですか、ミャンマーの大統領みたいなもんなんでしょう。大きいことを成し遂げる人は忍耐力もハンパない。みなさん、志を捨ててはなりませんよ。

 

さて、どこにも出掛けないでネットサーフィンをする機会も増えたすこっち。前からちょっと気になっていたあることについて調べてみた。その「あること」というのは、ズバリ「昔の時刻」について。

 

仙台城ガイドをやり始めてから早5年。6年目に突入した今年はなんの活動もしていないわけなんですけど、伊達政宗や仙台城のことを話す=江戸時代のことを話す分けなんだから、アタシの中ではさりげなーく時計を見て「ただいまの時刻は、戌の刻、戌四つ、五つ時ですな。」なあんて言えたら、最高にイカしてるだろうな!って思い焦がれておりました。

 

そうはいっても、日常の忙しさにかまけて、この「昔の時の数え方」ってものに真剣に向き合う時間が無かった、というか向き合おうとしなかったというのが正直なところかもしれません。

コロナ禍の影響で時間が出来たんで、最近ようやくこの「昔の時」問題を掘り下げてみることにしました。

 

そしたらね~、これがなかなか面白いのなんのって。(^o^)

 

覚え出すとね、意外とそんなに難しいわけでも無い。

 

ここで気になっている皆さんのために、「昔の時の表し方」ついてすこっち流の講義、行きますよー。

 

まずは、こちらをご覧ください。

 

 

この図が昔の時の表し方の全てになります。

といっても、最初はなんだか分かりづらいって思いますよね。

 

喰わず嫌いは良くなーい!(>_<) 慣れです、慣れ。我慢してまずは説明をお聞き!

 

今の時刻は1時間が基本単位であり、最初の12時間で半日が終わり正午、次の12時間で残りの半日が午前0時で終わる。

 

これに対して昔の時刻は一刻=2時間が基本単位なのである。(1時間は半刻という)1日24時間を2時間で割ると12。なのでこれに干支の十二支が割り当てられていた。スタートの子の刻は夜の11時~深夜1時までの2時間、次の丑の刻は深夜1時~深夜3時までの2時間というふうに2時間ずつ干支で追っていく感じになるんです。

 

ただし、この昔の時刻には二通りの表し方がありました。

 

上の図を見てもらうと分かりますが、子の刻=「九つ」(夜11時)とも呼びます。その後は九つ半(0時)、八つ(1時)、八つ半(2時)、七つ(3時)、七つ半(4時)、六つ(5時)、六つ半(6時)、五つ(7時)、五つ半(8時)、四つ(9時)、四つ半(10時)と下がっていき、午前11でまた九つに戻ります。

 

「あーなんだかわかんなくなってきたわ」って人は頑張れ、頑張れ!もう少しだけ頑張ろうよ。

 

つまりね、夜の11時から翌日の午前11時までを表すのが(夜→昼)への九つ~四つで、午前11時から夜の11時までを表すのが(昼→夜)への九つ~四つと覚えてもらいたい。

 

さらに、1単位の2時間を四つに分けていた。上の図の赤い部分は「草木も眠る丑三つ時」を表したもの。

丑一つ=1時~1時半、丑二つ=1時半~2時、丑三つ=2時~2時半、丑四つ=2時半~3時という分け。

だから、「草木も眠る丑三つ時」っていうのは、午前2時~2時半の間のことを指します。

 

他にも「へえ~」って思える昔の時刻トリビア!

 

お昼頃はちょうど「午の刻」でしょ。だから、お昼の12時は「正午」(正しい午の刻)

 

午の刻より前なので、「午前」。午の刻より後なので、「午後」

 

3時の「おやつ」はそう、「未の刻」=八つだから「おやつ」なの。

 

落語に「時そば」って噺がありますよね。あれはこの時の表し方を上手く利用してるんだね。

 

世渡り上手A君は午後11時~午前1時頃に屋台の蕎麦屋で蕎麦を食い、十六文の支払いを、一文ずつ手の平に出して八文まで払ったところで、「今なんどきだね?」と質問し、店主が「九つ」と答えるとすかさず「10、11,12,13,14,15,16文ちゃんと払ったからね~」と去って行った。(一文ずるしたのね)

 

それをまねようとした世渡り下手B君

 

蕎麦を食べて、支払う段階になった時、ちょっと仕掛けるのが早かった。

 

時刻は夜の11時前。ってことは、四つ。

 

「1,2,3,4,5,6、7,8,今なんどきだい?」に対して、「四つ」!なので、5,6,7,8,9~16文」と4文多く支払っちゃったというオチなんですわな。」

 

これもこの時の表し方ならではの妙と言えるでしょう。

 

さらに、この十二支は方位も表していた。

 

子=北、午=南、東=卯、西=酉 北極と南極を結ぶ線を「子午線」と呼ぶのは、そういうこと。

 

ね、なかなか掘り下げてみると面白いでしょう!

 

実はこの昔の時刻って、日の出の30分前を「明け六つ」、日没の30分後を「暮れ六つ」としていた。

つまり、季節によって昼の長さと夜の長さが違っていたのです。っていうことは、昔はちゃーんと夏時間と冬時間を運用していたってことになるんだね。(ある意味、今の日本より進んでるじゃん)

 

じゃあ、どうやって一般庶民はこの時刻を知ったんでしょうか?

 

江戸時代、時計を持っていたのは大名や豪商クラスの人ぐらい。時計を持っていない一般庶民は何カ所かの寺で鳴らす鐘の音で時刻を知った。時の鐘の音はまず、気付かせるための「捨て鐘」を3つ打つ。それから刻の数を最初は長く、徐々に詰めて打ったので、途中から聞いた人も今が何時かが分かったのだそうです。(ちなみに、仙台の青葉神社には江戸時代の時を告げていた太鼓が奉納されている)

 

そんな昔の時刻が気になりだしたすこっちは、とうとうこんなものまで購入してしまいました。

 

ジャジャーン!

 

 

なんと、干支表示の腕時計!ただし、これは残念ながら昔の時刻を正確に表してくれるものでは無いんだよね。だって、2時間で針が一回りする時計って無いでしょう。朝の6時は卯の刻で明け六つだけど、この時計では3時を示す位置にある。あくまで雰囲気だけ味わうって八つなのね。

でも、雰囲気に触れ続けておかないと、自然に「卯の刻か」なんて口から出てこないでしょう。

 

なんで、最近は時計を見ながら、昔の時刻がスラスラ言えるように修行中です。

 

ガイド活動が再開して、仙台城でお客様をガイドするときにはぜひともこの時計を見せびらかしつつ、さりげなーく「今は午の刻一つになりますが、お時間は大丈夫ですか?」とか、「まもなく申の刻なのでガイドは店じまいとなります。」なーんて言えるようになりたいものです。(^^ゞ

 

みなさんも、「昔の時の表し方」覚えてみませんか?