君は「薬子の変」を知っているか? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^o^)

 

日本史において、天下の政(まつりごと)が男女の恋愛によって翻弄されるということがありました。

 

例えば、「道鏡事件」これは40歳独身の称徳天皇をメロメロにした僧道鏡がそれを利用して自分が天皇の位を簒奪しようと企てた一大事件と言われております。

 

そして、ここに間違っても歴史の教科書にはじぇったいに掲載されないであろう、色恋沙汰に端を発したスキャンダルな疑獄事件がありました、それが「薬子の変」なのです。

 

「薬子」っていうくらいだから、女性。しかも、名字は「藤原」。彼女こそ藤原式家(藤原には南家・北家・式家・京家があります)を繁栄に導いた素晴らしい功績の持ち主だったのであります。

 

彼女には藤原縄主(ただぬし)っていうちゃんとした旦那さんがおりました。

 

この夫婦は早速、藤原家のお家芸である「ハプスブルク作戦」(天皇の息子に自分とこの娘をあてがって子供を作ることで姻戚関係を構築して乗っ取る)を企てます。長女を皇太子だった安殿親王のもとに女官として送り込み、着々と作戦を進めます。しかーし、ここで思わぬ方向に作戦が変更されてしまいます。

なんと、なんとこの薬子お母さんがですよ、娘の彼氏である皇太子にゾッコンMY LOVE ❤。あろうことかイイ関係になってしまうのです。(まあ、フツーに考えると薬子から仕掛けたんでしょうなあ、娘の立場って一体、、、。(-_-;))

 

ブチ切れた皇太子の親である桓武天皇(平安京遷都した人ね)は薬子を東宮(皇太子の住居)から追放します。このまま2人の仲は引き裂かれたまま終わるのか?と思いきや、そうならないのがドラマなんですわな~。まもなくして天皇である桓武父さんが崩御(死んじゃうことね)。皇太子の身分だった安殿親王は滞りなく皇位継承して「平城天皇」となります。平城天皇は「やったー、これで俺の天下だ!好きにやらしてもらうんで、よろしくー」ってな感じで早速、昔の恋人である薬子を呼び戻し、尚侍(天皇の側に仕えて天皇の命令を臣下に下したり、臣下の要望を天皇に奏上したりする取り次ぎ役)に抜擢する。

 

こうして、ラブラブのリカとカンチ(古っ、東京ラブストーリー知ってるかな?)はめでたく(!?)薬子の旦那である縄主クンを遠い遠い九州の太宰府にぶっ飛ばします。(娘はどうなったんだろうね)。

年上の薬子にメロメロの平城天皇。調子に乗った薬子は実の兄の藤原仲成とともに、次第に政治にも介入し、専横の限りを尽くすようになります。(>_<)

 

でも、この平城クン。体が弱かった、しかも心も。天皇になってわずか3年で病気で寝込んでしまい、早良親王の祟りも怖いってんで、さっさと皇位を弟クンに譲ってしまいます。見事に精力絶倫の嵯峨天皇の誕生です!https://ameblo.jp/scotch0711/entry-12496448730.html?frm=theme

 

上皇になった平城クンは薬子達と昔の都だった奈良の平城京に移り住みます。素直にソーシャルディスタンスを取っていればいいものを、そうはさせないのが薬子ロナ。この後、平城上皇と嵯峨天皇はお互いのやることにいちいちブチ切れあいまして、対立を深めていきました。そうした最中、今度は嵯峨天皇が病の床に着いてしまいます。

 

「ナウ ゲット ザ チャンス !」「ニン」薬子ロナはそう思いました。この機会に平城クンをもう一度天皇の位に就けて、復活しようぜ!ザオリク ザオリク。しかし、そんなにあっさりと願いは叶わないもの。今度は病床の嵯峨天皇が見事にベホマ~♪で驚異の回復!(さすが精力絶倫天皇)立ち直った嵯峨クンはバンバン平城上皇が作った制度をぶち壊していきます。

 

頭にきた平城上皇。今度は「だったらいいよ、都を元の平城京に戻しちゃうもんねー」宣言をします。

しかし、そもそも平城クンのお父さんの代で平安京に移してますんで、苦し紛れの「自爆テロ」も血迷ったとしか言いようがありません。(>_<)

 

ここからが早かった嵯峨天皇(夜も早かったのかは知りませんけど)。エース級の大将軍坂上田村麻呂を早速平城京に向かわせ、平城上皇を捕縛。さすがに殺すわけにはいかないので、出家させます。

結果、藤原仲成は射殺され、あのたぶらかし女帝藤原薬子は自ら毒をあおり、自殺しました。

 

かくして、「薬子の藤原式家なんて、モー嫌」ということで、この後は藤原北家が藤原家のオピニオンリーダーとして君臨し、あの藤原道長へと繋がっていくのです。(なんだ、道長って薬子のお陰じゃん)

 

いやーどうでしたか、今日の「薬子の変」劇場。

 

昼メロにしてもいいぐらいの泥沼不倫&愛憎兄弟バトル、そして伝説へ、、、。(-_-;)

 

桓武・平城・嵯峨&薬子あたりで大河ドラマを作ったら面白そうなんだけど、残念ながらネタがブラック過ぎますわな。

 

まあ、歴史の教科書に書かれることはまずありませんが、こんなトリビアな話を知っておくのも、味があると思いませんか?こんなことを紹介するの、すこっちのブログぐらいだろうね。

 

ちなみに、太宰府にぶっ飛ばされた元旦那である藤原縄主はどうなったのか?

 

彼は薬子の変には関与していないとして罪を問われず、その2年後には中納言に昇進。

薬子の変から7年後、58年の生涯を閉じたそうです。

 

腐らずに頑張った縄主(ただぬし)君に「あっぱれ!」あげてもいいですよね。(^o^)