仙台城エア(バーチャル)ガイド「馬上蠣崎稲荷」と「馬上蠣崎神社」 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^_^)/

 

さて、仙台城本丸にある伊達政宗の騎馬像と言えば、

 

 

政宗様は相変わらずりりしいんだけど、彼が乗っているお馬さんもよーくみると筋骨隆々のイケメン君だと思いませんか?彼にはちゃーんと名前がありまして、「後藤黒」または「後藤号」って言います。

 

実は、この「後藤黒」には大変泣ける深イイ話があったのです。

 

伊達家に仕える後藤信康の家臣に「新蔵」という馬育成のプロフェッショナルがおりました。

あるとき、新蔵が育てた馬の中で最も優れた馬を政宗様に献上することになり、後藤家に仕えていたのと毛色が見事な黒だったので、「後藤黒」という名前が付けられました。

 

さすがに「最優秀選手(馬)」として見そめられた馬だけに、政宗様は「後藤黒」のことをことのほか気に入り、戦の度に必ず乗用。まさに赤い彗星のシャアとシャア専用ザクの関係(!?)

その姿はまるで北斗の拳に出てくる「ラオウ」と「黒王号」。(っていうか、こっちが本家かぁい)

 

政宗様が後藤黒に乗った戦は連戦連勝。(まあ、シャアとラオウですからなぁ)

 

「馬首が向かう所必ず勝ち、攻めれば必ず取る」と言われるようになった。

 

後藤黒にまたがる政宗様は伊達軍のシンボルだった。

 

とろこがね、人も歳を取るけど馬も歳を取る。

 

慶長19(1614)年に起きた豊臣家滅亡キャンペーンの「大坂冬の陣」ではさすがに老齢だった「後藤黒」にはお呼びが掛からず、厩舎に留守居役を命じられることと相成りました。

 

果たして、馬にも愛社精神のようなものがあったのか?大役叶わず悲嘆に暮れた「後藤黒」がこのあととんでもないまさかの行動に出てしまうのです。

 

な、なぁんと厩舎を抜け出し、仙台城本丸の崖から飛び降り、死んでしまった。(>_<)

 

古今東西、馬の自殺は前代未聞。


後藤黒には死兆星が見えていたのか、、、。

 

政宗様はこれを聞いて大いに悲しみ、飛び降りた天守台の麓に墓を建て、その霊を深く弔いました。

 

その「後藤黒」の鎮魂の地が「馬上蠣崎稲荷」として現在も残っています。

 

こんな崖から身を投げたんでしょうか、「後藤黒」は、、、。(-_-;)

                        こちらがその入り口

    

2匹のあうんのお稲荷さん(狐)が狛犬役でお出迎え

鳥居をくぐり、進んでいくとほこらのようなものが、、、。

こちらが「馬上蠣崎稲荷」の社殿、「後藤黒」の御霊にそっと手を合わせましょう。

 

仙台駅からるーぷる仙台や地下鉄で仙台城を訪れる方はそのまま本丸に行ってしまうし、お車でお越しの方も通常は本丸の駐車場に止める。この場所はフツーだったら絶対と言っていいほど足を踏み入れない場所。でも、スピルバーグの映画「戦火の馬」(良い映画だったね~)の現実版とも言える政宗様と後藤黒との心温まる感動秘話に浸りながらここを訪れるというのも、悪くない。 BYぺこぱ

 

現在はここに「馬上蠣崎稲荷」がありますが、明治4年まであった「馬上蠣崎神社」は明治4年にお引っ越しをしています。

 

現在の「良覚院丁公園」のある場所に「馬上蠣崎神社」として残されています。

 

 

 

 

 

仙台を訪れて時間に余裕がありましたら、ぜひともセットで足を運んでみてはいかがでしょうか?

(まあ、to be continued でもいいんでしょうけど)

 

いざ 後藤号のお墓参りにGo to Go !(ゴ トオ ゴー) 

 

お後がよろしいようで、、、。m(_ _)m