どうも、すこっちです。(^^ゞ
暑さ寒さも彼岸まで。
そう、今日は春分の日なのでありますな。
風が強い一日となりましたが、こういう日が続くのも春先の特徴でもあり、日に日に春が近づいている証拠なのでしょうか。
さて、「政宗」と言えば、誰もが知っている我らが「伊達政宗」なんですけども、この「政宗」という名前。
これを分解してみると、「政」という字と「宗」という字になります。
つまりは、「政治」と「宗教」。
みなさんも日本史の教科書で習ったんで、なんとなーく覚えているかとは思いますが、この「政治」と「宗教」というのは実はずーっと密接な関係があったんですね。
古いところで言うと、645年の大化の改新(乙巳の変)ね。
まあ、大化の改新は蘇我馬子の息子の蝦夷と入鹿が滅ぼされた史実だけど、ちょうど馬子の頃に大陸から伝わったてきた仏教VS神道の一大バトルがあった。当時仏教を指示していたのが、馬子の蘇我氏であり、神道を指示していたのが物部氏。
結果的には仏教VS神道が蘇我VS物部の武力衝突に発展!最終的には厩戸皇子(昔の教科書の聖徳太子ね)が蘇我氏を応援し(しゃーないわね、親戚だから)、仏教の勝利!蘇我氏の勝利!と相成りました。
そうかと思うと、危うく天皇家が乗っ取られそうな事件もあった。
奈良時代の後半に起きた「宇佐八幡宮神託事件」(道鏡事件ともいう)。
この事件をかいつまんで、分かり易く説明をしますと、
奈良時代の後半、女性天皇である称徳天皇が精力絶倫の道鏡という僧侶にメロメロになっちゃいまして、この道鏡をまあ、宗教界のトップである法王の位に据えちゃうわけです。
さらに、道鏡の野心はとどまるところを知らない。宇佐八幡宮の八幡神から道鏡を天皇にすれば、天下泰平が訪れ、万民が安心して暮らせる世の中が訪れると神様のお告げがあったと言い出した。
道鏡とすれば、天皇は自分にメロメロな分けですから称徳天皇に上位ならぬ譲位をさせれば、俺が天皇に慣れるという筋書きだったんでしょうな。
しかしながら、この世に悪は栄えない!(BY ヤッターマン)
救世主が現れた、それが「和気清麻呂」だ。彼が、宇佐八幡宮の神託を確認しに言って、「そんなのでたらめだー、道鏡なんて天皇になんかしちゃだめだって神様が言ってるよ!」って天皇に奏上した。
怒った称徳天皇は彼を大隅国(今の鹿児島県)に、島流しにしたんだけど、結果的に道鏡は天皇には慣れず、皇統は守られてたって分け。(明治になってから、和気清麻呂は天皇家の救世主として、銅像まで建っている)
つくづく、宗教と政治ってちょっとしたきっかけでどう転ぶか分からない。
あとは、有名なところで言いますと「信長・秀吉・家康VSキリスト教」でしょうかね。
織田信長はどちらかというと、キリスト教には興味が無く、西洋の進んだ文化を宣教師から享受したかったんで、キリスト教を保護する姿勢をとって利用したんだわね。
豊臣秀吉は最初は信長の政策を継承していたんだけど、途中から伴天連追放令を出した。日本にキリスト教が広まって、キリシタンが結束するのを恐れていたんでしょう。
徳川家康もキリシタン包囲網をどんどんと狭めていきましたね。イギリスやオランダは、スペインやポルトガルのカトリックでは無くプロテスタント。宗教と貿易は別物扱いだったので厚遇されていたのね。
でも、三代将軍家光の時代に「島原の乱」が起き、キリスト教は完全に御法度となってしまう。
伊達政宗公も最初はキリスト教包囲網をのらりくらりとかわしていたんですけどね、、、。(-_-;)
そして明治維新。
このときは天皇=神道を国家の中心に据えるために、それまでの「神仏習合」から「廃仏毀釈」へとシフトしてしまうのです。まさに、「宗教」を「政治」利用していったとい言うわけなんですな。
このように考えると、「政宗」という名前は、「政治と宗教」。
歴史においては重要なキーワードだったということなのでありますなーすごいじゃん、「政宗様」
ちなみに、人と会話をする時のエチケットとして、「政宗の皿」という言葉があるのをご存じですか?
これは、「政」・「宗」・「の(野)」・「皿(サラ)」と分解します。
「政」=政治のこと
「宗」=宗教のこと
「野」=野球チームのこと
「サラ」=サラリー(給料)のこと
つまり、政治のこと、宗教のこと、野球チームのこと、お給料のことは、人それぞれ、考え方や思い入れがあり、なおさら給料の話は人と比べると衝突が起きやすいので、会話をするときには十分に注意しましょうってことなんだそうです。
「政宗の皿」、覚えておきましょうね!(^o^)