どうも、すこっちです。!(^^)!
本との出会いというものは人との出会いと一緒で、いつ、どこでどう出会うものなのか分からない。
しかも、その本が自分が興味のあるジャンルの人物だったら、読むスピードは他のそれよりも恐ろしいくらいに速かったりする。
ツイッターでたまたまこの本の存在を知った私は、迷うことなく購入ボタンを押し、おおよそ1週間で読破した。
その本の題名は、「さよならムーンサルトプレス武藤敬35年の全記録」である。
知らない方のためにちょこっと説明をしますね。
新日本プロレスの低迷期(長州力や前田明なんかが大量離脱した時期)、デビュー間もない3人の新人が急遽その屋台骨を支えるべく、破格の待遇でシンデレラの階段を掛け上がった。武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋の世に言う「闘魂三銃士」である。
その中でも「天才」と言われ続け、3人の中でも唯一56歳の現在でも現役の第1線でその存在感を発揮しているのが「武藤敬司」なのである。プロレスを知らない人でも彼の名前だけは知っていると言う人が多かったりする。(プロレスLOVEポーズも有名だ)
彼には「グレート・ムタ」という別の顔を持っている。二束のわらじを器用に使い分け、日本人として全米でも日本でもトップを取ったのは、たぶん彼をおいて他にはいないでしょうな。まさに、「武藤の前に武藤なし、武藤の後に武藤なし」かもしれないです。
武藤敬司は得意技「ムーンサルトプレス」の長年に渡る使用過多のため、膝のけがが悪化し、人工関節手術を行うに至った。
つまり、武藤はもう「ムーンサルトプレス」を使えなくなったのである。なので、「さよならムーンサルトプレス」という題名という分けだ。
(ちなみに、ムーンサルトプレスとはトップロープからバク転をして、相手に自分の体を浴びせる技である)写真参照
実を言うと、小学生の頃から金曜夜8時のワールドプロレスリング(新日本プロレス)を観ていた私としては、猪木・藤波・長州の後に登場した「闘魂三銃士」の中では、ダントツで橋本真也党だった。なんて言うのかな、あの一途に真っ直ぐに敵に立ち向かう勧善懲悪を感じさせる姿や悲壮感を背負ったノスタルジックなところが私にはハマった。袈裟切りチョップも豪快な蹴りもフライングニールキックもDDTのどれもが迫力があり、私の心をかきたてた。
それに比べると、武藤は打撃も使わないし、ムーンサルトも当時は乱発し過ぎていて、なんか的外れな感じがして好きにはなれなかった。
ところがである。
橋本が急死し、あまりよろしくなかった私生活が暴露され、その後三沢も無くなり、どこか私のプロレスに対する興味を失いかけていた時、常に二束のわらじを駆使して、プロレス界の中心でLOVEを叫び続けたレスラーがいた。それが、武藤敬司だった。武藤は年齢を重ねて、スタミナや動きが衰えても、それを補う「プロレス頭」があった。あの一瞬のひらめき、シャイニング・ウィザードはまさに彼の真骨頂だった。
どうしても、プロレスを見る目の浅い人たちは目先の技の派手さや豪快さに目を奪われがちだが、目が肥えてくるというか、「プロレス頭」を持ってプロレスを観れるようになると、地味なインサイドワークだったり、駆け引きがアイラモルトから醸し出されるピート香のように美味しく感じられるのである。武藤はそこに存在するだけで、プロレスという名のピートの香りがプンプン匂ってくるような唯一無二の存在なのだ。
(まあ、年齢を重ねることで見えてくるってやつなのかな、武藤の魅力って)
この本には武藤敬司の35年の生き様が書かれていると言ってもいいのかもしれない。
まあ、ここまでの話はプロレスに興味の無い人には「なんのこっちゃ?」な話なんだろうし、そもそもこんな本を買おうとか読もうとかもしないのかもしれない。でもね、世の中にいろんな本が出回っているけれど、アタシは一番面白い本って、実は「自伝」なんだと思う。
だって、その人が生きてきたストーリーを知るって素晴らしいことだよ。名の知れた人だったら、幾度と無く苦労を重ねて、ピンチを乗り越えて来たんでしょうからね。そういう生き様を知るってことはさ、必ず自分の財産になると確信してます。
この本の中で、私が涙した話を紹介します。
プロレスラーマのマサ斎藤は1999年2月14日に現役引退後、パーキンソン病を発症し、長い闘病生活を送っていた。
日常生活も困難で思うように体の動かないマサから、ある日こんな申し出があった。「頼むからもう一度、リングに上がりたい。」どう考えても無理な申し出だったが、じゃあ誰と戦いたいのか?と質問したら、即答「武藤敬司」だった。
彼の願いを叶えるべく、有志が立ち上がり2016年12月2日大阪でマサ斎藤の復活イベントが行われた。
「マサさんが武藤とやりたいと言ってるんだ」そう武藤に伝えると、彼の答えはこうだった。「マサさんが俺に会いたいって言っていっるって聞いたから。だったら会いに行かないといけないじゃん。そこに理由なんて無いよ。」
武藤は当日、1987年3月26日に大阪城ホールで猪木との試合中に突如として現れた「海賊男」の格好でリングに乱入した。そして、傘で突き、けりを浴びせた。マサはコーナーに尻餅を付いた。武藤からしたら、プロレス界ならではの愛情表現だったんでしょうな・病人にそんな仕打ちをするなんて。そしたらね、それに呼応するかのように、体がまともに動かないマサ斎藤がですね、立ち上がって来るんですよ。
立ち上がったマサさんに、武藤は続けて蹴りを入れる。するとね、な、なんとまた立ち上がるんですよ、マサ斎藤が。何度も、何度でも。
そして、最後には武藤にチョップを見舞って、蹴りを入れてコーナーに追い詰めたんです。パーキンソン病のマサさんがですよ。
もうね、この時点でも相当ウルウル来ましたわ~。(>_<)
その後、二人が抱擁。ここでもまた涙、涙。(>_<)ウルウル来ちゃいましたよ。(2人の抱擁のシーン、今私のスマホの壁紙です)
やっぱ、プロレスラーって体が反応するのかな、二人にしか分かち合えないものがあるのかもね。
この感動のシーン、You Tubeにもアップされています。↓
マサ斎藤はこの2年後の2018年7月14日、75歳の生涯を閉じました。
この記事を読んで興味を持った方は、「さよならムーンサルトプレス」ぜひともご一読ください。
ちなみに、56歳の武藤敬司はまだ引退していません。
機会があったら、引退前に彼の「プロレス頭」によるプロレスを生観戦するというのも悪くないでしょう。
最後に、武藤敬司名言で締めましょう。
・「プロレスとは世界の本質の縮図であり世を映す鏡である」
・「俺達の根底にはプロレスへのLOVEがある」
・「武藤敬司は爆進しまーす!」!(^^)!