どうも、すっこちです。!(^^)!
5/6のブログで書いた仙台城の騎馬像の台座に書かれている「伊達政宗卿」の文字を揮毫(きごう)した人、覚えてますか?
その人は第30代内閣総理大臣の斎藤實(さいとうまこと)さんと言います。この斎藤さんあの昭和11年の二・二六事件で、将校から47発の銃弾を受けて79歳の生涯を閉じてしまった分けですが、この悲劇、実は避けられていたのかもしれないというお話。
二・二六事件の前夜、斎藤さんは知日派のジョセフ・グルー駐日大使の招きでアメリカ大使公邸で夕食をとった後、邸内でアメリカ映画『浮かれ姫君』を鑑賞した。当初は中座して別荘に行く予定だったが、気心知れたグルーとの夕べに会話がはずみ、結局最後まで映画を観て夜遅く帰邸、別荘行きは翌日にしたのだそうです。
つまり、もし齋藤さんが予定通りに東京を後にしていたら、事件の難を逃れることもできていたかもしれなかった、という分け。
なんとも、皮肉な話。斎藤さんは日本の歴代の総理大臣の中でも通訳なしで英会話が出来た唯一の存在。駐日大使とも親交が厚かったらしく、映画を観てお酒も入り、盛り上がっちゃったんでしょうかね。(-_-;)
でも、その夜にそんなことが起こるとは誰も予想しなかったと言えば、そうなのかも。(予兆はあったらしいけど)
はい、ここで世の中の夫、妻のみなさん! ここからの美談をよーく聞いてください(読んでくださいか)
二・二六事件当日、斉藤邸を襲撃した将校は80名ぐらい。今だったら不法家宅侵入と殺人の罪で立派に刑務所行きなんだけど、こいつらはあろうことか、斎藤さんに47発の銃弾と数十箇所の刀傷を負わせて命を奪っている。(あのねー、ゾンビ退治のゲームじゃないんだよって)
このとき、奥さんの春子夫人は銃撃された際に斎藤の体に覆いかぶさり「私も撃ちなさい!」とさけび、斎藤の死を確認しようとする兵士の銃剣で負傷した。春子夫人はその後、長寿を全うし、1971年に98歳で逝去したが、最晩年に至るまで事件のことを鮮明に記憶し語っていたということなのですってよ。
聞きましたか~、世の奥様方!「私も撃ちなさい!」だってよ!
自分が殺されるかもしれない状況で、我が夫の亡骸を前にしてこの台詞が言えますか!
(って、この美談をうちのカミさんにも話したけど、ありえないと言ってた。)
まさにドラマの域を超えた、アンビリーバボーな話。つくづく、戦前の人って男性も女性も肝っ玉が据わってんなーって思わせるよね。でも、言った通りに撃ち殺さなかった将校にも日本人としての義理と人情はあったということなのかな。
仙台城の伊達政宗の騎馬像の台座の「伊達政宗卿」の文字。
あの文字を見る度に斎藤實さんのドラマを思い起こすのは、私とこのブログを読んでくれている人だけのプレミアってことですんで、よろしく!
岩手県奥州市水沢に斎藤實記念館というのが、あるそうな。ぜひ、これを機会に行ってみたいもんです。!(^^)!