どうも、すこっちです。!(^^)!
「浪花節だよ人生は」♪なんて歌が流行りましたね~。細川たかしが有名だけど、たしかいろんな人が歌っていたっけ。さて、この「浪花節」とは何なのか?あんまし考えたことってないですよね。まあ、早い話が「義理人情に厚い」、「損得やお金だけで動くんじゃあないんだよ」的な生きるさまを表現する言葉として使われる場合が多い。
ところが、この義理人情って誰のため?ってことは意外と軽視されていたりする。例えば、会社のお偉いさんが会社同士の付き合いで懇意にしている人がいて、その人からそりゃあ、まあ無謀なビジネスの話を持ちかけられたとする。親しい人だし、義理と人情の浪花節論法からいったら、断る理由が無い。さらにここで無理を聞いてあげれば信用も勝ち取れるだろうって下心もあり、相手の無謀な要求を誰に相談するでもなく、二つ返事であっさりと快諾。
だが、ちょっと待って欲しい。あんたは浪花節という戦闘能力がスカウターで計るところのMAX数値をはじき出していい気分になっているかもしれないけれど、そのね、仕事をさ、実際にこなすのってあんたじゃあないよね。そのパワハラまがいの仕事をさ、頭から煙が出そうなくらい知恵を絞り出して、残業して、身を粉にして、汗を出して必死にやり切ろうとするのはあくまで関わるセクションの一社員、一社員なのね。
あーそれなのに、それなのに。
いざその仕事が無事に片付くと、その社員たちには大した労いの言葉も埋め合わせも無く、自分だけが浪花節がいつしか鼻歌になり、その仲良しさんと大盤振る舞いのご苦労さん会を開催したりするっていうのが巷の風景だ。これって、果たして「浪花節」の精神に則ってると言えるのかなあ~。あんたは義理と人情を果たしたつもりかもしれないけれど、社員はあんたのきまぐれに付き合わされて、「なにが浪花節だ!いい加減にしろ~。」って思っているかもしれない。(>_<)
まあ、これは会社ならよくある光景なんだけど、安請け合いをする前に関わる人の対価というものもきちんと考えて欲しいものですよね。(人には心があるんです、こういう積み重ねで人の心は離れていくの)
これはアタシが前から思っていることなんだけど、日本人はなぜかやたらと無料とかボランティア精神とか、そういう「対価」というものに対して「奉仕」という言葉で美化してイイ子ちゃんを強要しようとする。
おかしくないかい?アメリカやヨーロッパではサービスに見合った対価が発生するっていう考え方は当たり前なんだよ!まあ、チップのある国でもあるわけだからね。実はこの「浪花節」的な「欲しがりません」とか「武士は食わねど高楊枝」的な考え方が、日本って国がいつまでたっても独り立ち出来ない所以なのではないかと。
以前ブログにも書いたけど、カミさんと松島に行ったときに瑞巌寺の観光ガイドを頼んだ。2人で1,900円ですよ。フツーに考えたら高いかな~って思うけど、アタシはガイド仲間的な要素もあって、授業料かなって意味合いもあったけど、実際に聞いてみると、まあ金額はともかく対価としては支払う価値があったガイド料だったと思えた。
つまり、人としての考え方や俯瞰で物事をとらえる洞察力みたいなものが熟成されて来ないと、そのサービスに対して対価を払うってことに、引っ掛かりが生じてしまう。物欲に支配されているような人なら、なおさらだ。
でも、そうは言ってもアタシも「浪花節」の全てが嫌いなわけじゃあないし、時には浪花節数値が跳ね上がるときだってある。(こうしたDNAは日本人には捨て切れないんですよね)
浪花節から足を洗う必要はないけれど、人生を浪花節色に染めてしまうのは、考えましょうよ。
だって、時代は常に変化しているわけですから、、、。(-_-;)