どうも、すこっちです。!(^^)!
さて、アジア大会のバドミントン女子ダブルスでタカマツペアが準優勝で幕を閉じた今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか?ゴールデンタイムに放送してたんで、最初から最後まで見ちゃいました。
(元バド部のアタシとしては、ちょっと血が騒いだのかな?)
一進一退の攻防が続いたんだけど、なんつーのかな~最後のつばぜり合いで負けちゃうんだよね。
そういう意味では、中国ペアの執念深さが最後は振り切った感がある。
この「執念深さ」というか最後まで諦めないという姿勢が何事においても超大事だったりする。我らが伊達政宗もまさに、「執念の人」だったのかもしれないと思われるエピソードの連続だったのです。
まずは、天正13(1586)年の人取り橋の戦いでしょうね。伊達軍7千に対して佐竹・蘆名連合軍3万の大軍を迎え撃って、鬼庭左月斎の討死はあったけど、何とか持ちこたえた。翌朝には奇跡が起きた!
そう、連合軍が忽然と姿を消した。これは、「持ってるな~政宗」って見方も出来るけど、背水の陣で迎え撃った政宗の執念が実を結んだんでしょうな。
次は、天正18(1590)年の小田原遅参でしょうかね。再三にわたる上洛要請をのらりくらり戦法でかわし続けてきた政宗。だけど、秀吉が20万の大軍を持って小田原城を包囲した時点で、サッカーで言ったら、ロスタイム(今だとアディショナルタイム)しか残っていなかった。底倉に押し込められていた政宗がここでも執念深さを発揮する。前田利家を通じて千利休への茶道指南をリクエストする。これに興味を示して謁見を認めた秀吉に政宗は一世一代の大博打を演じるのよね~。皆さんご存知の白装束のコーディネートで秀吉との謁見だ。派手好きの秀吉には、これがハマった!見事に賭けに勝ったわけだ。
さらに、政宗はやめときゃいいのに、葛西・大崎一揆に加担。扇動疑惑の弁解のために、再び天下人秀吉の前で弁明することに。まさか同じネタは通用しない。そこで今度は、白装束に黄金の磔柱のコラボで登場する。この時は、例のセキレイの花押の目に穴が空いてるとかいないとかっていう、苦しい言い訳をこれまた秀吉が気に入ったんでOK!という「奈良判定」に近い理由で事なきを得てしまう。(この話の信ぴょう性も微妙なんですけどね)
立派な仙台城だって、実は文禄の役で朝鮮に渡った際に、建てた数多くの倭城と呼ばれる城の築城技術をちゃあんと持ち帰って、仙台城の築城に役立てている。これも、ある意味執念だ。
最後まで諦めない、ネバーギブアップな精神で人をアッと言わせる「伊達男」。
これこそ、私たちが愛して止まない伊達政宗の魅力なのかもしれないですね。!(^^)!
(ハズキルーペのCMの渡辺謙さん、なんか迫力あるね~政宗が降臨してたよ。)