人の命にコンティニューはないのだよ。 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

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どうも、すこっちです。!(^^)!

 

広範囲で被害を被った西日本豪雨。現在のところ、死者は224人、不明者は12人とのことだ。

 

被害だけでもハンパないというのに、「赤坂自民亭」なる空気の読めない破廉恥国会議員(っていうか政府だよね)の醜態と明らかに後出しジャンケンで点数稼ぎ感見え見えの晋三クン。もうね、アタシたちははっきりと悟ったよ。あなたたちには、赤い血が流れていないということを(たぶん、緑か黒かな)。「手のひらを太陽に~透かして見れば~、真っ赤に流れる○○~♪」にあの人らは当てはまらないってことだね。ってことはさ、オケラよりもミミズよりもアメンボよりも以下だってことになるわけなんです。(あーどうやったら踏み潰せんだろう?)

 

まあ、そういうアベシンゾウリムシみたいな奴らの話はこのくらいにして(それはゾウリムシに失礼だ!)昨今、あまりにも人の命が危険にさらされるケースが多い。フツーに新幹線に乗っているだけで、襲われたり、そうかと思うと、高速道路をフツーに運転してるだけなのに、分けわかんないあおり運転のせいで、事故に巻き込まれて亡くなったり、おまけに逆恨みとかストーカー行為とか、とにかく自分は全然悪くないのに一方的な「殺人ストーム」が吹き荒れている。

 

うーん、これっていつの間にか命の価値というものが軽く見られてしまっているからなのでしょうか?

 

RPGの神髄である「ドラゴンクエスト」(知らない人はググってみてね)私はⅣまでしかプレイしたことが無いんですが、このゲームの中では仲間が戦闘で死んでしまうと、生き返らせる方法が2つある。1つは教会に行ってお金を払って、復活させてもらう方法。(地獄の沙汰も金次第ということかな)もう1つが「ザオリクという魔法使いの呪文を使って復活させるという方法だ。

 

まあ、ゲームの中の話しじゃんと言えばその通りだが、人の命を呪文によって蘇らせられるとは、なんともお手軽な復活劇なんでしょう。そう言えば、漫画のドラゴンボールでもドラゴンボールを集めて神龍を呼び出せば人の命も復活する、なんて場面もありましたね。

 

この「ドラゴンクエスト」にはさらに自己犠牲・神風特攻隊みたいな呪文も存在する。それが「メガンテ」だ。

自分の命と引き換えに相手のモンスターを一掃してしまうという優れもの。ピンチに陥ったパーティーを人一人の命を犠牲にして全滅を回避する。なんとも日本人っぽい呪文とも言えるんだけど、見方を変えるとこれはあまりにも人の命と言うものを軽く扱い過ぎているようにも受け取れる。(ゲームだけどね)

 

「別にいいじゃん、死んでも復活させてもらえばさ。」ゲームの中では確かにそれもありかもしれない。でもね、アタシらが実際に生きている世界はさ、命が奪われたら、心臓が止まったら、脳に血液が行かなくなったら、もうそれでゲームオーバーなんだって。ゲームはコンティニュー(ゲームオーバーになったところから続けてプレイすること)が出来るけど、人生は一度きり、当然コンティニューなんて機能は無いのだよ。

 

果たして前述したような加害者がゲームや仮想現実の影響をどれほど受けていたのかは私には分かりません。だけど、多かれ少なかれあったんじゃあないかと思うし、人の命の重さの価値観が違ったんだと思います。たぶん、風船と鉄アレイぐらいの重さの認識の違いがあったと、アタシは思う。

 

東日本大震災も熊本地震も今回の豪雨も一応天災ですから、救いたい命はいっぱいあったけど、自然の力の前では無力だったところもある。でも、今を生きる一人一人の人間の「命の重さ」の認識が改められるだけで、救われる命は無限にあるはずです。

 

なんか世の中が変なベクトルに向かっている感のある昨今だから、なおさら声を大にして言いたい!

 

「人の命にコンティニューやザオリクは無いんだよって。」

 

「一人の生命は地球よりも重い」って、どこかの国の総理大臣が言ってたんだけどなあ~。(-_-;)