どうも、すこっちです。!(^^)!
昨日のブログにも書いたけれど、午前中は炎天下の中仙台城でガイドをやってた私。
実はこの日、午後から別なイベントに参加する予定が入っていたのです。そのイベントはと言いますと、
仙台市内某所で開かれた「永六輔を語る」というイベント。3年前にお亡くなりになった永六輔さんですが、アタシよりも年齢が上の世代の方だったら、認知度100%なんだろうけど、果たしてアタシと同年代かそれよりも下の世代だと、そもそも「永六輔」さんにどれほど興味を持っているもんなんだろう?
アタシも馴染みがあると言ったら、ラジオ番組の「誰かとどこかで」ぐらい。でも、わずかな時間の番組だったけれど、その中でも永さんの魅力あふれるけど、それでいてどこか子供っぽい無邪気な話し方に大変興味を抱いていた。だけど、私は彼の全盛期の輝きというものを知らない。
ガイドの活動をするようになってから、いろんな話し方の本を読むようになったんだけど、そうした本の中に必ずと言っていいほど、語りの達人として紹介されるのが永六輔さんだった。だから、アタシとしては永さんのことをもっと知りたいとずっと思っていたそんな時、渡りに船だよね~。このイベントの開催を知ったので、迷わず申し込んだと言いう分けなのです。
今回の講師は隈本信一さん。朝日新聞の記者を勤め、その後ジャーナリストして活躍され、著書も多数。なんでも永六輔さんとは親交が厚く、亡くなる最後まで近くにいて、一緒に仕事をされてきた方なんだそうです。
もうね、とにかく永さんに近しい方なのでコアな裏話が満載なのです!なるほど、と思えるような話が次から次へと展開され、久々に時間の経過を忘れるって感覚を味わいました。
皆さんにも、少しばかりですがその内容のおすそ分けです。
・永六輔の父は中国の僧で、日本に移り住んで来たのだそうです。
・旅番組の原点とも言える番組は永さんの「遠くへ行きたい」
・白桃時代(昭和8.9.10年生まれ)の人は軍国主義→敗戦→民主主義急な転換で大人を信用出来なくなった世代なので、武骨で自分が頑張った人が多い。
・淀川長治から永さんへのアドバイス「映画を観る前に歌舞伎を観なさい。一流と言われるものは興味を持ってなんでも観なさい。」
・これも永さんが受けたアドバイス「放送の仕事をするなら、スタジオでものを考えてはいけない。電波の飛んでいく先に出掛けて、話を聞いたり、体験したことをもとに話をするのが大事。
・永さんが作った番組「昨日のつづき」戦後初のフリートークの番組だった。進駐軍の元ではGHQの検閲があったため、必ず台本を提出する必要があった。
・永さんが作った番組「夢で逢いましょう」は日本のバラエティ番組の原型とも言える番組。永六輔は後年、この番組は源流が流れ出て川になり、それをダムでせき止めるように、ダムになろうとスタートした番組だったと語っている。
・永さんは「上を向いて歩こう」を坂本九が唄うことに反対だった。中村八大の押しが強かった。
・「誰かとどこかで」でリスナーから寄せられたお便りには全部返事を書いていた。リスナーはその永さんからの返書を今でも大事にされている方もいるんだとか。
・携帯電話・メール、どれもこれも孤立した言葉である。本来はコミュニケーションであるはずの言葉が、そこでは一方的なものになってしまっている、と危惧しておられたそうです。
・ブラタモリは良い番組だと生前おっしゃっていました。
他にもいっぱい、貴重な話をしてくださった隈本先生、本当にありがとうございました。m(__)m
私としては是非とも永六輔さんの「大往生」を始めとする著書を一通り読んでみたいなあという欲求が沸々と湧き上がってきました。(^o^)やっぱり、偉大な人のエキスってこうしたきっかけが与えられて、吸収出来るときに吸収をしとかないと駄目なんでしょうね。
皆さんも興味がありましたら、この隈本信一さんの著書で平凡社から出版されている「時代を旅した言葉の職人」、図書館で借りてでもいいので、読んでみてはいかがでしょうか?