狐につままれたような映画はもうやめにしませんか? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
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どうも、すこっちです。!(^^)!

 

昨日は映画評論でずいぶんとエキサイトしてしまいましたが、別に「万引き~」だけがっていう分けではないので、昨日もちょっと触れたこの「狐につままれたような映画」について書きたいと思います。

(昨日の続きだね、昨日じゃ収まんなかったみたいです。(>_<))

 

みなさんは映画を観に行ってこんな経験ありませんか?

 

「まさか、これで終わりじゃないよね。って、えっ、終わりなの?マジで?なに、この映画?」とか、

 

「はあっ???、結局なにが言いたかったの、この映画?」というフラストレーションMAXの状態。

 

あんましひどい映画だと、二人で観に行った場合、映画館を出て帰りの車の中や立ち寄ったカフェなんかで、息を止めていた人が一斉に息を吐出すみたいに、今観た映画のひどさを確認し合うトークがエンドレス、なんてことになってしまう。(-_-;)

 

これってまさに「狐につままれたような映画」に遭遇してしまったということなんですね。

 

不思議なんだけど、いったいいつ頃からこうした「独りよがり」の映画が増えてきてしまったんでしょうか?

 

映画ってもともと大衆娯楽なわけでしょ!だったら、極端な話ですよ、話老若男女、万人が観たら万人が

「あ~面白かったね、今日の映画」って帰り道で会話が出来るってのが大前提なんじゃあないだろうか?

(少なくとも、むか~しむかしはそうだったんだと思うよ)

 

それが、「№1にならなくてもいい もともと特別なオンリーワン♪」的な風潮に映画界も影響を受けてしまったのか、映画の作り手が大事にしてきた「大衆受け」、「わかりやすさ」を求めるということよりは、監督の自分なりの価値観を表現するための単なるプレゼンの場になってしまったような気がする。

 

アタシら団塊ジュニア世代って言うのはさ、「水戸黄門」的な勧善懲悪、エンディングは今日も日本晴れ!ってな感じのちゃんとしたストーリとエンディングという形に慣らされてきている人種なのね。

 

だから、アッと言わせたいって気持ちも自分の感性を表現したいという気持ちも分からないではないけれど、それもあんまり度が過ぎたら、それはもはや、幼稚園のおゆうぎ会にも劣る作品だってことなんだよ。

 

だいたい映画は誰のもの? 脚本家のもの?監督のもの? 配給会社のもの?違うでしょ!映画館に足を運んでお金を払って見に来てくれるお客さんのためのものでしょ!だったら、観終わった後に「面白かった~。」って気持ちにさせてお家に帰してやんなきゃ、はっきり言って詐欺だよ!

 

「男はつらいよ」はずいぶん前に終わってしまったけれど、あれだって人気シリーズだった。

内容はと言うと、いたってシンプル。「シンプル・イズ・ベスト」って言葉が映画にはよく似合うってアタシは思うんだよね~。(-_-;)

 

漫才も進化しているけれど、実はシンプルなこてこての「ボケとツッコミ形式」が一番しっくりくるような気もするんですよ、最近とくに。

 

最後に昨日の繰り返しになりますが、あえて声を大にして言いたい!

 

映画を観終わった後に、

 

「あ~面白かった。」って言えない映画は

映画じゃない!!

 

これって、人生も一緒!

 

面白くなければ、人生じゃない!!(^^)!