どうも、すこっちです。!(^^)!
今日は、めっきりと冷え込みましたね~宮城県地方。果たして皆さんは「彼岸の中日」というしきたりを重んじてちゃあんとお墓詣りとか行くんでしょうか?それとも、まだ布団の中?
私は日曜日に済ませてきましたけれど、定期的に墓参りをするという気持ちって、忘れたくはないものですよね。だって、その人がいたから自分がいる。若しくはその人との関わり合いが自分に何かしらの影響を与えてくれたから、今の自分がいる。感謝の気持ちというものは心が素直でないと、気付かないものですからね。
さて、今日も伊達政宗に関するこれも有名はお話を紹介しましょう。
伊達家フリークの方なら、「九曜紋」って知っていますよね。中心に大きな円があり、その周りに小さな円が8つ書かれている家紋です。(参照)→http://kisetsumimiyori.com/date/
おしゃれが大好きな「伊達政宗」は「竹に雀」だけでも十分カッコいいと思うのですが、この「九曜紋」がいたく気にいっていたんです。でも、これって「細川家」の家紋。どうしてもこの家紋の使用許可が欲しかった政宗は細川家当主「細川忠興」におねだりします。
政宗「ねぇ~、ねぇ~忠興クン。お宅の九曜紋って超カッコいいしイケてるよね~。俺にちょうだい!」
忠興「いやだ!けっこうメジャーなやつだし、俺も気に入っているんでほかの人にあたって!」
政宗「馬鹿野郎!お前から受け賜わるから、そこに価値が生まれるんだよ! 他の人じゃダメなんだよ」
忠興「わ、わかったよ。使っていいよ。」
こうして、政宗の見事な口説き文句によって、政宗は細川家からこの九曜紋の使用許可を頂いたのです。ところが、こんなに苦労して手に入れた九曜紋を政宗様は簡単に片倉小十郎とかにも下賜しちゃう。
(気前がよかったのか?、酒が入って調子づいたのか?)
片倉小十郎が九曜紋の羽織を来た姿を見た時の忠興の心境って、、、。(-_-;)
この九曜紋、中心の丸が大きくって周りの丸が寄っていて、隙間の感覚が狭いのが伊達家の家紋。
そんでもって、中心の丸がほどほどの大きさで周りの丸が離れていて隙間の感覚が狭いのが細川家。
なので、細川家の九曜紋は「細川九曜」とか「離れ九曜」とも呼ばれているのです。
じゃあ、この「○」ってなんなのっていうと、「星」を表している。
昔は星を「★」じゃなくて、「○」で表現していたんですね。太陽と太陽の周りを回っている他の星って意味となるのですかね。(ただ、そもそもこの時代に天動説と地動説の考え方があったとは思えないが)
よくよく考えてみると、「竹に雀」だって上杉家からの頂きもの。(>_<)
頼朝からもらったのは「二引き横両」だったものに1本足して縦にしたのが「三引き両」。
「牡丹紋」を「蟹牡丹紋」アレンジしたのは5代藩主の伊達吉村だったし。
ホント伊達家って、昔からアレンジというかイノベーションがお上手だったってことなのかしらね。
今度、街で「九曜紋」を見かけたら、「あーこれが忠興さんを口説いてもらったやつね!」と
思ってみてくださいね。!(^^)!