「ソメイヨシノ」の「ソメイ」というのは「染井」と書く。
そもそも、江戸にあった「染井村」で育てられたので、この「ソメイ」と
桜で有名な奈良のヨシノを足して、「ソメイヨシノ」と名づけられたのだ
そうです。
実を言うと、今日、雰囲気だけでも味わってこようかなあ~と、
花見の名所、仙台の榴ヶ岡公園に夜桜見物に行ってきました。
(夜桜見物というよりは、屋台見物かなあ?)
そうしたらまあ、夜桜花見の方々がわんさかおりましたね~。(^_^)
まあ、考えてみると野外で酒盛りやるのって、この時期の花見と芋煮会ぐらいだもんね~。
ある意味、桜+春+宴会という方程式が人の心を開放的にするという
要素もあるのかもしれないですね。
そもそも、日本人はいつ頃から「花見」なる宴会行事をやり始めたのかというと、奈良時代からなのだそうで、その時は中国から伝来した梅を見ながらというのが主流だった。
平安時代に入ると、貴族には桜の方が気に入られたようで、桜にシフトしていったのだそうです。
「日本後紀」には812年3月28日に嵯峨天皇が花宴の節(せち)なる
花見をしたとの記述が残っているのです。
でも、花見の風習が一般庶民にまで広く浸透したのは江戸時代。
それまでは、まあ高貴な方の行事ごとだったようです。
でも、秀吉の「醍醐の花見」みたいに、庶民にも門戸を開放したことも
あったようですね。
興味深いのが、兼好法師の「徒然草」の中にこんな一節があります。
(わかり易く、現代語調で書きますね!)
「物事はそのことが起こっている真っ盛りが良いと
思われておりますが、
実は、全てのことは、真っ盛りよりも始めと終わりがいいんだね。
月見や花見は目だけで見るものではない。
お祭りも前後の雰囲気を味わうのが良いのです。」
う~ん、これってなかなか深いと思いませんか?
確かに、私たち凡人はとかく目の前の桜の花の美しさに
心を奪われて、すぐに宴会モードに走ってしまうけれど、、、(-_-;)
本当の風流が分かる人というのは、この満開の頃の「真っ盛り」よりも、桜の花のつぼみが膨らんだ時や咲き始め、さらには桜の花が
散る頃にズームアップするんだね~。
いやあー、おみそれしました。m(__)m
皆さんもちょっと、兼好法師的思考で花見を考えると、
もっと花見を堪能出来るかもしれませんね。!(^^)!
いやー、今日の「みたらし団子」は美味しかった~。(^O^)/