というわけで、あんまりおおっぴらに語るのもなんなんですが、
前回の続きということで、「伊達家の借金ヒストリー」をば、お話いたします。
仙台藩5代藩主伊達吉村公の時に、西国の凶作の影響で、仙台藩は50万両(500億円)の利益をあげました。
と、ここまでは前回のお話でした。
ところが、「殿様商売」とはよく言ったもので、これが長続きしません。
結局、資金が底をついた仙台藩は買米制の運営も商人に頼るようになりました。
しかし、この買米制(余分な米を買って、江戸に売るやつね)につけ込み、商人が仙台藩の財政に介入するようになるのです。
まずは、「大文字屋」
この大文字屋は、藩の代わりにお米を買い集めて、藩に売っていた。
ところが、財政の乏しくなった仙台藩は徐々に大文字屋への支払いを
しなくなります。キーーーッヾ(*`Д´*)ノ"彡☆
結局、貸し倒ればかりが増え、まっとうな商いをしていた大文字屋は倒産してしまうのです。
(>_<)
ところが、上には上がいたもので、この大文字屋に変わって登場したのが、「枡屋」です。
枡屋は枡屋札(ますやさつ)という私幣(自分とこで作ったお札)を発行し、流通させ莫大な利益を上げます。
つまり、農民や武士から買い上げた余剰米のは買い叩いて、その支払いは枡屋札で支払い、藩からの支払いは現金でもらう。
現金は自分のふところに置いておけば、貸し倒れもないというわけ。
しょせん、枡屋札は単なる紙切れだから、枡屋にとっては痛くもかゆくもないというわけ。
結果、1838年仙台藩の借金は全部で70万両(700億円)になり、
借入先も見つからなかったのです。
な、なあんと仙台藩は枡屋に約27万両(270億円)の借金を残したまま明治維新を迎えることになるのです。
(これって、踏み倒し?)
ある意味、明治維新が救ってくれたのかしら?
いつの世も、安易に借金はタブーです。
はんだやの格言にも、「貸借は友を失う」とありますからね。