世の中不思議なもので、損な役回りが回ってくる人と言うのは
なぜか決まってくる。
小中学生の時、なぜか真面目で勉強が出来るというだけで、
自分には全然その気がないのに、学級委員や生徒会の役員などに
周りから推薦されてなってしまう人。(これ、ズバリ私の事)
会社勤めになっても、自分の意思に反して組合活動やサークル活動の代表に
選ばれるのもなぜか決まった人(これもズバリ私だった。)
会社の仕事でも、いわゆる評価されることのない面倒な仕事やコンプライアンス
に関することだったり、雑用や裏方的な仕事もなぜか決まって回ってくる人がいる。
(あ~これもあたしかよ~。(-_-;)
さらには誰も受けたがらない資格試験にまで駆り出される始末。
たいそうな試験に合格しても、何の恩賞もない。(もーいや、こんな生活)(>_<)
世の中には泳ぐのが上手で、こうした「面倒くさい光線」をヒラり、ヒラりと
かわして生きていくことが出来る種族がいる。
同じ人生なのに、同じサラリーマンなのに、どうしてこうも環境も状況も正反対
なのだろうか?
よく、「どこかに必ずあなたの働きを見ていてくれている人がいる。」なんて
借りてきたような励ましの言葉をくれる人がいるけど、それは一昔前の話。
今や合理的なこと、利益の出ることだけが良しとされ、幅を利かせている
「合理至上主義」の世の中では、もはやそれはおとぎ話の世界である。
「損な役回りは資格試験だと思え!」という言葉を何かの本で読んだことがある。
確かにいい言葉だ、実に納得できる部分はある。
だけど、人間そう言われても、それを素直に「ごっくん」出来るほどあたしゃあ
大人にはなれない部分がまだ残っている。
心のどこかで、「ざけんじゃねえよ!」とちゃぶ台をひっくり返してやろうかと
思ってしまう自分がいる。
理不尽を越えたところに、見える希望の光を目指すべきなのか?
それとも、人間としての「ちゃぶ台精神」が勝るのか?
難しいなあ~ 人生って、、、。(-_-;)