最後の国士官僚 香川俊介を悼んで② 書評「正義とユーモア 財務官僚・香川俊介追悼文集」 | ScorpionsUFOMSGのブログ

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本書『正義とユーモア』は香川事務次官追悼文集として出版されたもので、ここには生前、香川事務次官と親しくされていた多くの著名人、仲間たちの言葉で多くのエピソードが語られています。

(※一般販売はされておらず、株式会社イマジニア宛てにオーダーする形での注文となります。「ファイナンス」での紹介記事http://bit.ly/2mBsWir

 

『最後の国士官僚 香川俊介を悼んで① 書評「正義とユーモア 財務官僚・香川俊介追悼文集」』⇒ http://amba.to/2lkSu1e

からの”続き”になります。

 

最後の国士官僚 香川俊介を悼んで② 書評「正義とユーモア 財務官僚・香川俊介追悼文集」

■エピソードその2.菅義偉「ですが、決まるまではやらせてください」

菅官房長官と香川事務次官の出会いは2000年6月に竹下事務所の青木文雄氏に紹介されたのがきっかけだそうです。

第一印象は「人懐っこい男だなあ」というものであったそう。

色んな政治家、役所の人と会ううちに皆が口々に「香川、香川」と言っていたそうです。

そのうち気づいたことは、“これは”という人はみなつながっていて、その中でも、香川はとびきり顔が広く、仲間から信頼されているということでした

と菅官房長官は述べています。

 

菅官房長官が総務大臣だった頃に、公務員定数の見直しを進めたときは、治安や安全に関わる職員を思い切って増員する一方、無駄なところは民間委託などで大胆に減らす案を示したところ、「あまりにも極端すぎる」と反対している主計局の総務課長がいるという情報が菅官房長官の耳に入ります。

 

その主計局の総務課長こそ当時の香川事務次官であり、すでに付き合いの長かった菅長官はすぐに電話をかけて「俺の案をお前が査定するのか」とからかったそうです。

当の香川事務次官は「ちょっと言っただけですよ」と笑ってごまかしていたそうですがw

 

時は流れて、香川事務次官がガンを克服し第一線に戻ってきて財務事務次官になったとき。

香川が消費税の再増税に向けて動いているとあちこちから情報が入ってきたそうです。

 

菅長官はある日、香川事務次官を官邸に呼んで、

「消費税の引き上げはしない。おまえが引き上げで動くと政局になるから困る。あきらめてくれ」と静かに話をしたそうです。

それに対して、香川事務次官は

「長官、決まったことには必ず従います。これまでもそうしてきました。ですが、決まるまではやらせてください」と答えたのだそうです。

 

このやり取りの部分は、本書「正義とユーモア」の紹介記事としてネット上でも見れるようになっていると思います。

 

ですが、本書を読む前は「お前が動くと政局になる」で指している“お前”とは、てっきり“財務省という組織が”という意味なのだと勝手に解釈していました。“財務事務次官”である香川氏が、事務次官として再増税に動くように下の者に指示を出すからこそ政局になるのだと。いわば”香川俊介“という個人ではなく、”財務事務次官“という肩書きに囚われて解釈していたのです。

  

ですが、どうやら実際は違ったようです。

本書を通読してはじめて分かりましたが、ここで指している「お前」とは、本当に”香川俊介“という一人の人間に向けて発せられた言葉ったように思います。

仮に香川事務次官が事務次官の職に就いていなかったとしても、菅長官は「お前(すなわち香川俊介という一人の人間)が動くと政局になるから困る。あきらめてくれ」と膝を突き合わせて言っていたに違いないと思ったのは私だけではないはずです。

■エピソードその3.北村滋「宇田川交番に悪戯っぽい目をした君の笑顔」

ずば抜けて広かった香川事務次官の人脈のなかでもひと際、香川事務次官と親交の深かった一人に北村滋内閣情報官の名が挙げられます。

なんせ開成高校時代から大学、霞が関と実に40年以上もの付き合いだそうですから。

北村内閣情報官が警察庁に進むことが決まった時に、一番歓迎し、また面白がってくれたのが香川事務次官であり、警察官僚としてフランスへ留学するか否か悩んでいたとき、背中を強く押してくれたのも香川事務次官だったそうです。

 

その後、香川事務次官が主計局法規課長になったころから、香川事務次官は財務省主計局に出向した警察庁の若手の面倒をよく見ていたそうです。

「香川俊介を囲む会」となっていた集まりには、宮沢忠孝氏中山卓映氏松島隆仁氏ら開成高校出身者が多く、主計局での苦労話や開成高校時代の思い出話でも大いに盛り上がったそうです。

 

北村情報官が全国の交通信号機、交通標識、交通標示等の交通安全施設を整備する交通規制課長だったころ、公共事業担当主計官を勤めていた香川事務次官が司法警察、地方財政、公共の三人の主査を連れて交通局とVICS(道路交通情報通信システムセンター)の視察に来たことがあったのだそうです。警察庁会計課は開闢以来の椿事に目を白黒させたそうで、次年度の交通安全施設整備事業関連予算は十全に確保されることになったそうです。

 

これ以外にも、元防衛事務次官の西正典氏の寄稿文では平成26年の中期防衛力整備計画の策定の際、防衛庁の長年の懸案事項だった「まとめ買い」を実現するきっかけを作ったのも他ならぬ香川事務次官だったそうです。

 

「最後の古武士」「典型的な国士官僚」と言われた村上孝太郎元大蔵事務次官が大蔵官房長時代に実現しようとしたにもかかわらず、ついに日の目を見ることが無かった提言に「予算執行の弾力化等の問題点について」(1966年)というものがあるそうです。

原則、単年度で使い切らねばならない予算を、超過分は次年度へ繰り越すことも可能にすることで予算の合理化を図ろうという、今でい複数年度予算を可能にしようという趣旨の提言です。

 

複数年度予算自体は平成26年以前から公共事業関連などで既に存在していたはずですが、原則単年度予算の観点から合理的な理由があるときに限り認められていたように思います。

この場合、「合理的な理由」というのがクセモノで、どれだけ実務的なメリットがあったとしても形式基準、実質基準などで「合理的ではない」と判断された場合は認められないことがあるということになります。

 

恐らく、西氏の寄稿文から察するに「まとめ買い」法案で法的担保がなされたことにより、必要以上に形式的な合理性を追求する必要がなくなり、現場サイドでの裁量の自由度が格段に広がったということではないかと思われます。

 

現に近年の防衛予算は複数年度契約を弾力的に用いることで“見た目の金額”以上の防衛力の増強が実現していることは予算の概要書を見れば一目瞭然です。(それでもまだまだ十分ではありませんが)

 

上記の北村情報官や西正典元防衛事務次官の話を総括すると、香川事務次官は近年、最も我が国のインテリジェンス・防衛力の向上に貢献した財務事務次官であるといっても過言ではないのではないでしょうか。

 

■民意を信じた「国士官僚」

確かに香川事務次官は消費増税に邁進していたようです。

ですが、本書から浮かび上がるのは「消費増税は手段であって目的ではない」という想いもまた至る所で感じ取れるのではないでしょうか。

 

菅官房長官が香川事務次官に「消費税の引き上げはしない」と伝えたのはいつのことなのか。消費税10%への増税の是非を問う形になった解散総選挙の前だったのか、それとも後だったのか―。

 

本書では明らかにされていませんが、「決まったことには従います。」との香川事務次官の言葉の真意は菅官房長官あるいは政権に対して従うというだけではなく、“選挙結果”という“民意に従う”という意味が含まれていたと感じるのは私だけでしょうか。

 

それを思うと直近の財政制度等分化会で「財政健全化の旗が揺らぐようなポピュリズムには警戒する必要がある。」という発言があったのは本当に悲しい出来事でした。

 

どういう文脈で誰が発言したのかについては議事録の公開を待たなければなりませんが、もし民意をポピュリズムと蔑んでいるのだとすれば、一体、財務省は誰のために仕事をしているのでしょうか。

 

国民を、日本を豊かにするために日々激務に耐えながら仕事をしているはずではなかったのでしょうか。

 

ある財務官僚は「国民に喜ばれる仕事がしたい」と言ったそうです。

もちろん、官僚が国民におもねるような事をしていては政府が成り立たないもの事実です。

ですが、それと同様に、もしくはそれ以上に官僚が「国家のため」と称して、過度に国民に負担を強いるのも許されるべきではないはずです。

 

フランスの思想家・政治家のド・トクヴィルは次のように述べたと言います。

 

民主主義は個人が享受できる自由の範囲を拡大させていくのに対し、社会主義はその範囲を狭めていくものでしかない。民主主義は一人一人の人たちすべてを、それぞれかけがえのない存在であるとしてこれに最高の価値を付与するが、これに反して社会主義は、各個人を単なる「将棋の駒」あるいは「数字」としか見なさない。

 

民主主義と社会主義とがただ一つ共通して持っているのは、「平等」という言葉である。だが、この同一の言葉を使用するに際して、両者間に歴然として存在する相異には注意しなければならない。

 

すなわち、民主主義は“自由”において平等を求めようとするのに対して、社会主義は“統制と隷属”において平等を達成しようとしている、という相違である。

 

はからずも官僚機構とは本質的に”統制と隷属“になりがちなものであることは否めません

それをいかに“民主主義”に引き戻すかが官僚の手腕が真に問われるところではないでしょうか。

 

香川事務次官の生き様を知っている人々には、一人一人が輝ける社会をつくるための国家のあり方、税のあり方、財政のあり方を考えて欲しいと願わずにはいられません。