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弟が自殺した

2012年12月に弟が自殺した。
このブログは僕がこの事実を受け入れるために書くものです。

弟の納骨を済ませた。宗教者は呼ばずに父母と3人だけ。霊園のスタッフの方々におかげで滞りなく済ませることができた。割と新しい霊園で、この墓は父母が将来自分たちが入るつもりで買ったものだ。まさか、次男を先に入れることになるとは思いもよらなかったことだろう。順縁なら次は父だが、何年あるいは十何年先のことになるだろうか。それまで待ってろよと弟に語り掛けた。僕はこれまで自分が死んだ後にその遺骨の扱いがどうなるかなんて全く関心がなく、周囲の人達の好きにしてもらえれば良いと思っていたが、今は弟の眠る墓に一緒に入れて欲しいと思うようになった。できれば50年くらい先のことであって欲しいが。少なくとも親より先には死ぬものかと決心している。

納骨後の食事会。弟のことを家族でいろいろ話し合った。父は、弟が大学入学時にスポーツをやる上で体育会系かサークルか迷っていたときに自身の体験から体育会系を勧めたことを後悔しているようだった。確かにサークルなら体育会系より飲酒の機会は減るかもしれないが、それで留年&放校を免れるかは疑問だし、酒癖の悪さがいずれ身を亡ぼすことになるのは変わらないような気がする。自殺の場合、周囲の人の多くが自殺の原因が自分にある又は自殺を止められなかった過失があると考える傾向があるらしい。僕もあのときこうしていれば自殺を防げたかもと考えたりするが、その時点で自殺の予見なんて不可能だと頭が判断するので、僕が自分を責めるのは難しい。ともかく、弟の自殺のせいで自責の念に苦しむ人に対して、あなたのせいではないと説得するのも僕の仕事だ。
納骨のことは後で書く。納骨が済んだのに、まだ心が不安定で仕事にも身が入っていないような気がする。自分の感情が良く分からない。周りに誰もいないところで独り、弟の名前を口に出して呼んでみる。何回も。涙が込み上げてくる。そうだ、僕は弟を失って寂しくて悲しくて辛いんだ。子供の頃は僕を「お兄ちゃん」って呼んでくれた。中学生か高校生の頃になると「お兄ちゃん」では気恥ずかしいのだろう、「兄貴」って呼び始めた。今は僕が何回も弟の名前を呼んでも答えてくれない。僕を兄とする者はもう誰もいない。それでも、僕はこれからも弟の兄だ。
弟を失って以来ずっとネットで似たような境遇の話を読みふけることが多い。その中で、「生まれ変わっても再び兄弟になりたいか?」という話を見掛けた。そうだな、また兄弟やりたいな。今度はお前が兄で僕が弟というのも面白いかもw それでもお前が無茶苦茶やって、僕がはらはらする関係は変わらない気がするけどな。
訃報を聞いてすぐに実家に帰ることにしたが、家事は済ませておかないとと思い、小一時間ほど頭が混乱したまま片付けなどをした。深夜の電車に乗り実家に向かったが、耐えきれなくなって話を聞いてくれそうな友人に愚痴を聞いて欲しいとメールした。何でも話せとの返信だったので、弟が自殺したとのメールを書いて送ったら、少しだけ落ち着いた。このブログもそうだが、書くことは気を紛らわせられるし、感情を吐き出してストレスの発散にもなる。また、書いているうちに自分の考えもまとまってくるので、しばらくは書き殴ることが続くだろう。終電は使わずになんとか実家に辿り着く。玄関の扉に昨日まであった正月飾りが外されていたのに気付いた。いつも通り、ただいまと、中に入れば、母と父が出迎えてくれた。僕はなんと言っていいか分からず、大きなため息をついて肩を落とした。両親が外見上は落ち着いて見えたのが、良いことなのか悪い前兆なのか判断し兼ねた。経緯を簡単に話してくれたが、半分も頭に入らなかったように思う。それでも、弟は警察署に安置されているということ、明日検死が済んだら会えるとのことは分かった。寝る前に友人から返信が来た。重い話を持ちかけてしまって悪いと思ったが、返信を読んで少し慰められてありがたかった。
恥ずかしながら、年毎の命日の他に月命日というものがあることを知らなかった。今回、自死遺族のブログなどを読んで初めて知った。今日は弟の初月命日だ。推定日だけど。死を知ってからまだ3週間だけど。荼毘に付して2週間しか経ってないけど。毎日というか何もしていない時間は仕事のちょっと間でも弟のことを考えてしまう。弟の自殺の理由と、昔の思い出について考えることが多い。気持ちとしては、何よりも喪失感・空虚感が強い。悲哀感も当然大きいのだけど、悲しみは癒せても、虚しさは埋められそうにない。幸い自責の念や後悔は小さいがそれは理性で抑えている感じ。それと、ときどき良く分からない不安感に襲われる。

今日、願掛けしていたことが叶った。実に10年間も掛かったので、ことさら嬉しいし、親も喜んでくれた。もし弟が生きていてこれを知ったら、兄のために喜んでくれただろうか。そう、わずか1ヶ月前には生きていたんだよな。弟はきっと喜んでくれるに違いないが、それと同時にまた僕の大学合格のときのようにプレッシャーを与えてしまうかもしれない。大分後になってから「やってくれる。参ったなぁ。」と思ってたと告白してくれたからなぁ。年が近いから仕方ないのかもしれないけど、自分の身の上を兄弟と比較するのはあまり建設的ではない気がする。他人と比較することもだが。でも、今ならもうプレッシャーを感じることもないだろうから、実家に戻ったら、弟に報告してやろう。
弟を荼毘に付した。大泣きするかもと思っていたが、涙ぐんだり込み上げてきたりする程度で済んだ。親が泣き崩れたりするんじゃないかと心配していたが、それも大丈夫だった。儀式というか火葬の一連のフォーマットというものが気持ちを緩和してくれたんだと思う。人によっては逆にこういう雰囲気が嫌だったりするのだろうが。最後の別れで見たときは数日前に化粧してもらったときよりも顔がじくじくと傷みだしていて、母は少々衝撃を受けたようだ。発見まで10日間ほど水に浸っていたのだし、火葬場のスケジュールがタイトで保管期間が長くなってしまったのだから傷むのは無理もない。僕も少し驚いたが、弟は生前アトピーで顔も肌荒れが酷かったから、小奇麗に死化粧してもらったときよりも、普段の姿に近いぞと心の中で弟に言ってやった。棺には花の他に弟が何より愛する子供達の写真を沢山入れた。母は弟宛に手紙を書いて棺に入れたようだ。どんな心のうちを書いたのか想像もつかないが詮索するものではないだろう。この場に来たのは父と母と兄の3人だけだけどこれで十分だよな。骨になった弟を見たときも落ち着いていられた。係の人が淡々と進めて下さったからかもしれない。僕は骨壺を抱えて火葬場を後にして、やっと家に連れて帰れると思った。帰りの自動車の中で、小中学生の頃は弟が僕の膝を枕にして寝込むことが多かったなと思い出し、骨壺を膝の上に抱えようかと思ったけど、もう三十代後半なのだからと止めといた。実家に連れ帰って安置してまじまじと見れば、もう弟はどこにも行かないのだと実感して、ある意味安堵したのだった。
今日これから弟を荼毘に付すことになる。人間は死亡した段階でこの世には無く、遺体には何も残らないと考えるけど、残された者にとっては故人に対するよすがとして遺体や遺骨は大切なものだ。火葬炉前で最後のお別れをするときや骨を拾い上げるとき、骨壺を家に連れ帰るときを想像するだけで、胸が張り裂けそうになる。冷静にはいられないとは思うが、大泣きするんだろうか。泣いたって当然なんだけど、ちょっと怖い。今の気持ちを書き留めときたかったので書いた。
仕事始めの日。仕事から帰った夜に実家から電話。この時点で、弟が死亡の連絡かなとの予感はあったが、せめて大事件起こしての逮捕勾留ぐらいであって欲しいと願いつつ、受話器を取った。僕「はい、○○です。」。出たのは母「あっ、○○? ●●がね、大変なの。」。嫌な予感が膨れ上がって言葉に詰まる僕。母「大丈夫?」。僕「良いから言って。」。母「●●が部屋の中で自殺してたの。」。確かこんな流れだったと思うが、動揺していてはっきりとは覚えてない。でも、あぁ、そうなったのかと思ったのは確か。母に再度大丈夫かと訊かれたので「まぁ、(長期的には)有り得ることだと思ってたから。」と答えて、顛末を聞いた。今考えると、長男に次男の自殺を伝えるのが父ではなくて母なのがうちらしいかなと思う。父は弟に似て、じゃなくて、弟が父に似て、精神的に弱くて酒に逃げる傾向がある。母は強しというけど、今は泣き喚きもせずに落ち着いて行動しているけど、きっと後始末が全部終わってから精神的にぐっと来るんだろうなと思うから、両親を支えなくてはいけない。ショッキングな話が終わったところで、父が電話を替わって明日帰って来れるか訊いてきた。幸い今日は金曜日なので、土日は実家に戻れる。時計を見れば大分遅い時間だが、まだ終電には間に合うはずと思い、ネットで路線検索。いつもよりPCの操作に時間が掛かる。それで自分がかなり動揺していることが分かった。今晩中に帰ることを伝えて電話を切った。「●●が自殺した。●●が自殺した。●●が自殺した…」と何回も頭の中で反復し、事実を受け入られるように自分に言い聞かせた。そして、弟は子供の時からトラブルを起こしては親を心配させて来たが、もうこれ以上、弟が親を心配させることはないのだと気付き、ある意味ほっとするような溜息をついた。

この日のことはもう少し書いて吐き出したい。
気分は落ち着かないが、焦っても仕方がない。度々トラブルを起こす奴だから、弟のいない正月はこれまで何回もあった。親からすれば長男が帰省しただけでもマシだろうか。外食して一応お正月気分を味わう。あとは両親に任せて、自分のアパートに帰ったが、その前に実家近くの神社に一人で初詣した。去年は、母は寒いの嫌がって来なかったものの、弟と父との3人で行ったのだった。別に信心深くはないので僕も気が向いたときにしか初詣には行かなかったが、小学生の頃に弟と一緒に屋台で綿あめなどの食べ物を両親に買ってもらったこともある普通の地元の神社。いつもは来たとしてもせいぜい五円玉くらいしか賽銭を出さないのだが、今年は自分自身のことで願掛けしたいことがあり、帰省する前から500円玉を賽銭として出すつもりだった。ついでに弟の無事を祈ろうか、でも無事なんだろうか? 無事であって欲しいのは僕達家族にとってであり、必ずしも弟本人にとってではない。だから、迷ったけど、どんな形であれ弟の幸せを祈った。結果的には、それで良かった。神様も既に死んでしまった人を生き返らせることはできないのだから。