今日、父が死んだ。
彼はギャンブラーだった。
とは言ってもギャンブルで財を成したとか、身を持ち崩したとかそういった振り幅の大きな類のものではない。
小金を賭け、その結果に一喜一憂していた程度のものだ。(たぶん)
趣味はパチンコとゴルフ。
他の趣味があったのかは窺い知れず。
1977年6月27日、21時27分。
それはぼくが生まれた時刻なのだが、その時刻に彼は何処ぞで麻雀を打っていたそうな。
後にその事実を知ったぼくは彼に結果はどうだったのかと問い質したが覚えていないとのことだった。
実際に記憶に残らない程度の微減微増の小勝負だったのかも知れない。
若しくは大負けしたのをはぐらかしたのかも。
大勝していたら俎上に載ったろうからそれはないだろうが。
(違法とされるレベルの賭け麻雀をしてたのかどうかはもはや闇の中、ではある)
『勝負強い』とか『勝ち方を知っている』というフレーズがどういう意味なのか訊いておきたかったがそれは叶わなかった。
ギャンブラーに訊きたいことなんだよなぁ。
ぼくは彼が28歳になるほんの一週間前に生まれた。
ぼくが彼と同じ頃に子を成しておれば高校生くらいになっていたであろうか。
彼はついぞ孫の顔を見ることなくこの世を去ることと相成った。
仮に御先祖が末代までの呪いをかけられたとてぼくの一生涯まで。
呪いが解ける日はそう遠からじや。
家庭ではちゃらんぽらんな人物であった。
社会人としての一面を垣間見ることはついぞありえなかったので、世間様にどのようなペルソナを被り生きてきたのかは分からない。
先日母親から妹と殴り合いの喧嘩をしていたと聞き、なんとまァ愚かなことだと嘆息したものだった。
(愚かしいのは老人と殴り合う愚妹の方だが)
日本人男性の平均寿命は81.64歳だそうな。
それに照らし合わせればあと10年くらいは生きるものだと思っていたのでこれまた青天の霹靂。
焼肉屋に行けば届いた肉を所狭しと鉄板に並べてしまう愚物であった。
炙る程度で食べる肉の旨さを伝えられたのが数少ない親孝行のひとつだったろうか。
もう少し食べ歩きに興じてみたかったな。
青身の魚が苦手と言っていたが生サバの美味しさには触れたのだろうか。
蕎麦好きだったので美味しい蕎麦屋にも連れて行ってもらいたかったな。
今年の誕生日の前後に母親と三人で会食をした。
ぼくは牛タンのひつまぶし御膳を、彼は大きなエビフライの付いたオムライスをオーダーしていた。
その日の帰り道が最期の会話と相成った。
昨年iPhoneの使い方を教えに実家に帰った折にインストールした株のアプリケーションを活用していたらしい。
『倍にして』であるとか大言壮語を吐かないことが小市民的でもあり、そこがまた好感が持てる点でもあった。
「おれに預けておけば10%上乗せして返してやるよ」
ぼくは彼にとって10%程度の負け分で済んでるのだろうかね。
冥福を祈る。
2021/10/16