汚い vs きれい (汚 vs 清潔) | diary of trial and error (new title)

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   <間違いも多いし、まとまっておらず、調べ損ないも多い記事になってしまいました。 あとで没の記事にします。>>

 

コロナ制限の頃、5~6年前か?

毎日近所のスーパーに行って食品を買い帰宅すると必ず手洗い(これまで生きてきてあんなに手を洗ったことはなかった。)とにかく外は汚い・スーパーやコンビニは汚いという考えだった。。

 

ウイルスは目で見えることがない(光学顕微鏡でも見えないはず)だから、カートの持ち手が汚れてるだろうというイメージ、棚の手前のカップ麺や食品のパッケージは汚れてるイメージがありました。

 

「○○○ウイルスの入った溶液がどこでどれだけ活性があるか?段ボールにおくと数時間で活性が無くなる、金属(ステンレスや銅)の上だと数日活性がある。」という記事があり。意外でした(銅って抗菌作用ありそうと思ってたから)。

だからお金(紙幣・特にコイン)は超汚れてる感じで余り触らず。神経質な私はせっせと手洗いしてました。

 

もっとすごいのはネットの記事でイタリアに在住の日本人の方の記事で「スーパーで買い物をして帰ったら必ずシャワー、洗髪もする」とあり・・。(コロナの時期はそんなの読んでたです)。

 

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コロナ期、毎日、地植えのバラの木の世話をしていて、草取りや土をさわって手が汚れるし、殺虫剤まいたり。。だから作業後は同じ液体せっけんで作業後に手洗いしましたが、土いじりしながらふと思ったのは「スーパーのカートの持ち手やお金(紙幣・コイン)と、草や土壌とどっちが危ないんだろう?健康にリスクあるのどっちだろう?」なんて思い。

 

いまも手はよく洗いますが。手洗いは慣れたので、バス・トイレや洗面台の掃除も割と気軽に掃除するようになりました。(トイペで便座の汚れ擦って落としたり簡単)。

 

林修先生の言葉、凄いなと私的に解釈したのは、

「いつやるか?今でしょ!」

汚れをみつけた、「いつやるか?今でしょ!」→すぐカーペットのゴミを素手でとればいい。見つけたらすぐやる!

 

もともとは(あいまいな英単語がでたら、すぐ辞書を引くとかネットで検索したり。英単語の意味が不明な時すぐにネットでしらべる!)なんですが。。

 

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汚れというのは見えないんで、「汚れているだろう」というイメージで手を洗う。手を洗うことで自分がリセットされる気になる。

 

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最近、思うのは、例えば、食後の皿。

→食品の残りかすでよごれた皿。食べる前は綺麗だった皿・衛生的に綺麗な食品がのってた皿が、食後には汚いと思う。

 

スーパーで野菜を買って帰る→根元を切って流しに→ばい菌ありそうなゴミと一緒に野菜の外側や根が捨てゴミに→それが汚く感じる(買ってすぐは清潔だったものが、、汚いものに変わっちゃう)。

 

豚肉のトレーがある→脂身を少しとってトレーにのせ→トレーだけをプラごみで出そうとする。(汚いものに変わっちゃってる)

 

肉でも魚でも、買ったときは綺麗だから手をきれいにしてトレーの肉を触る→調理し食べた後は残渣の血の付いたトレーが汚く感じる。

 

髪の毛が頭に生えてるときは素手で触れるのに→カーペットに落ちた数本の髪の毛が汚い。

それがまた他人のと自分のとで汚れ感がちがう。

20代の子供が鼻をかんで捨てたティッシュはより汚く感じ。

 

(使い終わった皿が子供のと自分のと、落ちた髪の毛でも自分のと他人のとで汚れ度の感覚がちがう)

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さらに靴下。自分の脱いだ靴下なら平気で洗濯機にもっていけるが、二十代の息子のはどこで汚れたか?息子の脱いだ靴下は摘んでなんとか洗濯機に持って行く感じ。

(あの子、赤ちゃんのときオムツでも平気で手で触ってたような)。

 

こういう「汚れ感(汚れイメージ)」って、なんでかな?と。本能的なのか?それとも目に見えないのに「微生物学」の余計な知識からなんだろうか?

 

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コロナ時代の練習のおかげで、「流水でよく洗えばいい。ベタツク油汚れは石鹸か液体せっけんで洗えばいい。

手を拭くタオルが臭くなってる。(これも室内干しのせいで目に見えない細菌が繁殖のせいか)。

そして、手も洗えばきれいになり、衣類も、タオルも、洗濯して日に干せば、また綺麗になる。

風呂に入ったり手洗いすれば(一応)清潔に生まれかわる・きれいに戻るようなイメージ。

 

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(おまけ) 研究所時代

細胞培養のために無菌室を造って、先輩方何人か何チームか3チームほど共用で簡易の無菌室をつくったんです。

ルールがあって。

前室→奥に(クリーンルーム)部屋にわかれ、

前室に入る時に清潔な白衣に着替える(オートクレーブで滅菌してた?)。

薬用せっけんで手を良く洗い、マスク着用、手術用手袋、アルコールスプレーも?。

 でドアを開けて奥の部屋(クリーンルーム)に入る→奥の部屋に3m四方くらいのビニールの部屋がありう(上から無菌フィルターの風が常時ながれ中が無菌)→ビニールのクリーンルーム中に入ると、さらにガラスで仕切ったベンチ(無菌のドラフト)があってその中で操作。。

 無菌の風が常に上から流れるしビニールの中は無菌?とおもってましたが、ある日、軽くキャップしてある使用済み培地(栄養のある溶液)が放置されていて、見るとボトルの溶液にカビが生えているのを見つけて・・・ 「あーあ、、」と。 

 つまり、キレイというのがイメージ(幻想)でしかない。。。

  (ご注意、これはちゃっちい研究室の大昔の思い出ですので

  

 

() 

1950年前後の 食品汚染。汚染されてるのに、食べてはいけないことがわからない。 ヒ素、重金属、残留農薬、有機水銀・・・。。

 

細菌毒、毒性物質、そういうの目に見えないから、わからない。

((腐っている臭いや、ご飯が酸っぱくなってるっていうのは食べちゃいけないと認識できるのに))

腹をこわすくらいなら経験の一つですが、

かなり昔から、食品汚染で、大きな被害をうけたのが、今の人の本能や行動にどう残ってるのか?

 

 (コロナかのとき、駅前の喫茶店が、持ち帰り弁当を売ってて、夏場に自転車で買って、あちこち回って帰ってから食べたら、おなか壊しましたが) 

 

 

ここまでは、もの 見えないものの汚れとキレイのですが、

対人関係においても、汚れと、きれい はあるかな?と。。

 

赤ちゃん・幼稚園・保育園児・小学校低学年までくらいは、きれいなのに、だんだん汚れがつく。

思い出すのは、山口百恵さんの歌「白い約束」。”綺麗なまま 生きることは無理なのかしら~ 私たちも いつかは汚れて しまうのかしら ..」。 

精神的にも無垢なままでなくてよごれていく?

 

(こころの方)

そして誰かと話した後で嫌な気持ちになったとき、話をした相手の心(意図)が、汚れなのか?好いのか?判別つかない。

実際のところ、 汚れって、目に見えないから、わからない。

 

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「汚れているだろう」(汚れの本体はある程度推察できる)

 

バス・トイレ・洗面・流し(カビ・真菌類・微生物だろう):

トイレ、ごしごし汚れを落とす。流し:ゴミを片付けて少し汚れとり。→水で流す→手をよく洗う。。

 

食品: 腐敗(おそらく微生物だろう)、油の酸化もある。

臭いをかぐ、味をみる。、、ちょっとだけ食べてみる?

 

<毒> 汚染 難しいです。

最近の食中毒や天然の毒の件でニュース(情報を得る)も大事だろうけど。

実体がわからない。しかし、被害は甚大。

ボツリヌス菌もあったし。残留農薬もあったし。

ヒ素(わかやまのではないです)

 

 

毒の思い出

(二十歳の頃、実験で経皮毒をつくっていて、白衣の手首についた毒が全身にまわって、足まで皮膚炎がでて参ったのを思い出します) 経皮的に取り込まれて全身回った。。