今朝、 きょうせいしゃかい、きょうそうしゃかい、がリフレイン。。
(ダーウィニズム以来、競争社会で社会の進歩ですが) 近年は、共生社会、共生社会とよく出るけど、共生とは障がい者が共に生きれるということか?と思って来てました。
しかし、「共に生きる=「共生」」ではないか?と・・
じゃあ高齢者はどうなのか? (施設入所の寝たきりにも選挙のハガキは事務的に届くけど手が拘縮で字が書けない。認知症気味の高齢者もいて。彼ら彼女らは選挙に参加できないし)、
高齢者も、認知も、独居老人も、もっと一般の若い人とも交流できていい、すべきだ。それは若者のために絶対なる! 生活に困っておられる人たちや、生活保護の人とも交流するべきだ。ぜったいお互いのためになる。それらが「共生」ではないかな?と、、
ネットで調べてみました、、
Google検索で「共生社会とは」で検索すると、首相官邸ホームページと、文部科学省のホームページが先ずヒットしますが:
首相官邸ホームページ:
社会には、さまざまな状況や状態にあったりする人々がいますが、「共生社会」 は、さまざまな人々が、すべて分け隔てのなく暮らしていくことのできる社会 です。 障害のある人もない人も、支える人と支えを受ける人に分かれることな くともに支え合い、さまざまな人々の能力が発揮されている活力ある社会です。
文部科学省ホームページ:
○ 「共生社会」とは、これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会である。 それは、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会である。
例として「障がい者」を記していて、、どうも、今の提唱は、「障がい者」に焦点をあて限定した狭い意味での共生社会を唱えているような(それで雇用も障がい者枠をつくったり)。(障害の「害」って「害している」なのか??)
競争社会は維持しないと行けないから、共生社会は(今のところ)限定して置いてるような妄想を今朝しています。
多様な人がいて、それぞれ身体的面、精神的面、経済的な面などで困っているけど、
誰もみなが希望もって暮らして行けるように、「困っている人への(声かけや、話を聞いたり、サポートをして)皆で生きる元気を持とうよ!」=それが広い意味での「共生社会」ではないかな?と、、
お金の面で支援のことや、現役世代の足を引っ張るような気持ちではないのです。
競争は、競争の世界で切磋琢磨して、良い製品づくり、サービスの向上に資すればいいわけで。(オリンピックの試合と同じ)。
あたまがボーっとしていて、上手く書けませんでした。(削除予定)