統合失調症のAさんは、とんだ愚物で、支離滅裂。誰からも馬鹿にされる以上の扱いは受けなかった。実際に彼は、馬鹿であるらしかった。しかしながら、彼の心の片隅にある一塊の疑念が、彼に、己れがそれほどまでに底無しの馬鹿であると信じ込ませることを思いとどまらせたのであった。自分は実際のところ、馬鹿などではないのだ――これが、彼の持つ唯一の矜持なのであった。
真面目に考えたところで何事も好転したりはしない。いい加減になる事こそ必要なのであるなどと説く人がいる。しかし私は、真面目に考える方がよいともいい加減に考える方がよいとも思わない。そんなことはどちらでも良いことである。何故ならば、そもそも他人という者は、物事を真面目に考えてなどいないものだからである。自分一人で真面目に考えていたところで物事が好転しないのは当たり前である。他人がいつも真面目にものを考えていてくれるなどと安心している人間は、お人好しと言って、ものの役には立たない朴念仁なのである。
他人が何を考えてい るのか、どういう料簡でいるのかが、私には皆目わからない。それとまったく同様にして、他人もまた私の考えていることがわからない筈である。にもかかわらず、私は時おり、己れの精神の内部が他人に筒抜けになっているのではないかという恐怖に駆られる。これが私を病人ならしめている所以の症状、すなわち関係妄想である。