ヴィルヘルム・バックハウスは1905年、パリで開かれたルビンシュタイン音楽コンクールのピアノ部門に出場して、ベラ・バルトークを破って優勝している。
彼の演奏による、ショパンのエチュード作品10と25の録音なども残っている。
ヴィルヘルム・バックハウスの座右の銘は次の通り。
“まじめな仕事は、真の喜びを与える”―セネカ
“人間の尊厳は、君たちの手にゆだねられている。それを守りたまえ”―シラー
“芸術家よ、創造したまえ、語るなかれ”―ゲーテ
ヴィルヘルム・バックハウスは1905年、パリで開かれたルビンシュタイン音楽コンクールのピアノ部門に出場して、ベラ・バルトークを破って優勝している。
彼の演奏による、ショパンのエチュード作品10と25の録音なども残っている。
ヴィルヘルム・バックハウスの座右の銘は次の通り。
“まじめな仕事は、真の喜びを与える”―セネカ
“人間の尊厳は、君たちの手にゆだねられている。それを守りたまえ”―シラー
“芸術家よ、創造したまえ、語るなかれ”―ゲーテ
安房上総の国主であった里見治部大夫義実の事跡を考えてみたいのだが、まず彼の父親である里見季基のことを述べたい。
新田義貞の一族であった里見の祖先は南朝の忠臣であったが、明徳三年に南帝が三種の神器を北朝に渡すと、里見氏は心ならずも足利氏の招きに応じて鎌倉へ赴いた。里見季基の父里見大炊介元義は足利満兼に出仕して、季基は満兼の子足利持氏に仕えたのである。
やがて持氏は室町将軍足利義教と確執におよび、幕府に反旗をひるがえすと、京都から政府軍が押し寄せてきた。執権上杉憲実と力を合わせて、永享十一年、持氏とその嫡男義成を鎌倉の報国時に追い詰め、腹を切らせた。 しかし、持氏の次男春王三男安王といわれる二人の公達は、辛くも敵軍の囲みを逃れて下総へ落ち延びた。これを結城氏朝が迎え入れて、二人を主君と仰ぎ奉り京都の武命に従わず管領上杉清方、持朝の大軍と対峙した。 その時、里見季基をはじめとする持氏恩顧の武将が馳せ参じて結城城を守り、籠城三年に及んだが、食料も矢種も尽き果てて、
「もはや逃れるすべはない。皆で討ち死にしよう」
と、城門を押し開いて血戦し、城は陥落して二人の公達は捕らえられ、美濃の垂井において殺害せられた。世にいう結城の合戦である。
その時季基の嫡子里見義実はまだ又太郎と呼ばれた少年であったが、父とともに討ち死にしたいとの願いを諌められ、父と別れて杉倉木曾介氏元、堀内蔵人貞行の二人の家臣に伴われ、房総半島を南へ落ち延びた。
ここで、この結城の合戦において、春王、安王の両公達が処刑された垂井の蓮花寺で活躍した、一人の武士がいた。両君を守護する持氏方の家来の一人で、幕府軍に殺された大塚匠作三戍の息子大塚番作一戍である。大塚番作は、両君の処刑を見届けると、その殺害現場に家宝の村雨丸を振りかざして躍りこみ、並みいる敵兵をたった一人で切り払い、両公達と父親匠作の三つの首級を奪い去ると、一人それらの首級を携えて逃げ延びた。そして姉の亀篠の住む大塚村に戻って八犬士の一人犬塚信乃戍孝の父親となるのであるが、これは後の話である。
さて、里見義実と杉倉、堀内の両家来は十町ほど落ち延びる間にも、
「父君は如何なされたであろうか。心もとない」
と何度も馬の足を止め、後辺を見返るが、鬨の声や矢の音が囂(かまびす)しく、やがて落城と思しく天を焦がす火災の光に、「ああっ」と思わず義実は叫んだ。手綱を引いて取って返そうとするが、
「これは如何に。物にお狂いなさられたか。大殿の御心を何と思し召されるか。今、城に還って命を落とされるのは、夏の虫の火に入るよりも浅はかな所業です。迷ってはなりませぬ」
と諫められるが、苛立つ孝子は、 「貞行、氏元、馬の口を放せ。今親の死を耐え忍ぶならば、我は人の子とは言い得まい。放せ、放せ、放さぬか」 と、鞭を振り上げ二人を打つが、忠臣らは石のごとく拳を緩めず、打たれるままに牽いて行った。
夕日も落ちると追い来る敵もいなくなり、十六夜の月があかあかと照らす中を逃れ行き、草屋(くさのや)に宿をとった。三日目にして三浦の矢取の入り江に着いた。後に遅れた堀内蔵人貞行を待ちながら、主従二人は安房の国への渡航の手だてを考えていたが、そのうち磯山から俄かに叢雲が立ち上り、海面は黒み渡り風と共に潮が逆巻き激しい雷雨となった。義実主従は入江の松の木陰に笠を翳して立ち続けたが、逆巻く波と舞い下がる雲の間に二人は、一匹の白竜が飛び去ってゆくのを目にした。
やがて雷雨もおさまり月の出を待つうちに、水崎の方よりやってくる快船(はやふね)が一艘、船の内より歌を詠うのが聴こえ、水主(かこ)はそれを聴いているのか、そのまま漕ぎ着け纜(ともずな)を投げかけ降り立つのを見れば、堀内貞行である。 「この界隈は渡海不便の由を聞いて、彼方此方で船をたずね、水崎まで赴いて漁舟(すなどりぶね)を得ましたが、空腹であらせられるかと思い、飯を炊いているうちに雷雨が激しくなったので、このように遅参いたしました」
と告げ参ったので主従三人は笑い合い、義実は、
「ここで待つ間、白竜の祥瑞があったのだ」
と語らううち、水主は手を挙げ、主従三人をさし招いて舟に乗せ、安房を目指して漕ぎ出した。