精神病の人の中にはこんな妄想を抱いている患者がいるかもしれない。つまり彼は自分の抱いている妄想を妄想であるとわかっているにもかかわらず、ある理由から(これも彼の妄想に由来する理由であるが)、その妄想の内容を決して他人に知られてはならないのだと妄信しているのである。この妄信ゆえに彼は、自分はかくかくの妄想を抱いていますとは決して誰にも、医者にも言わないし、そんなそぶりも見せようとしない。妄想を打ち明けて治療してもらえば生活も改善し彼の人生に好ましい結果をもたらすのだが、妄想の内容を知られてはならないという彼の妄想は、そのような希望的観測よりもなお優先されるのである。この致命的な妄想ゆえに、彼はいかなる治療を施されようと決して回復には向かわない。何やら妄想のような妄想でない様なあいまいなことを口にするばかりで、何時までたっても同じ事の繰り返しである。

私は今、攻勢に出てはいないが、かといって守勢に転じている訳でもない。ただ、自分に偶然与えられたものを保持していく事の困難に苦しんでいるだけである。

偶然に与えられたものとは何なのかは言及しないが、私の抱えている困難というのはこうである。

云わば狂気と付き合わされるという意識、言い換えると気持ちよく生きられないという意識。それを堪え忍ばなければならない事の困難さである。

狂気というのは端から見れば、つまり他人から見れば非常識なものかもしれない。しかし、当人にしてみれば、ただ気持ちよく生活ができないという意識と隣り合わせの意識に過ぎないのかもしれない。