精神病の症状を大まかにそして比喩的に言うなら「訳がわからない」という言葉で言いうる。「訳がわからない」という精神病特有の症状を私は次のように考える。

「訳がわからない」というのは理屈に合わないとか不快に感じられるとか常軌を逸しているとか言うのとは違うだろう。

「訳がわからない」というのは病気の症状なのである。脳という臓器が不調をきたしていてそれが外部には「訳がわからない」という症状となって現れるのである。「この人は訳のわからない人だ」と思った時、理解できないものに対する嫌悪ばかりが頭の中を跋扈するのである。「これは病気の症状なのだ」と考えることができれば、少しは冷静に、客観的になる事ができるのだ。

しかし、これらは人が精神病を理解したいという意思を持っていることを前提とした話である。精神障がい者を理解することが必要だと思う人など一体どれだけいるだろうか。大部分の人は精神病という言葉を聞くと冷やかな一瞥を投じるだけである。精神病に対する無知と無関心とを要約した言葉が「訳がわからない」なのである。「訳がわからない」という言い方は案外肯綮に中っているのである。

病人は自分が薬で保っていると考える。薬に慣れてくると少しくらい油断しても、いい加減な精神状態でいても問題ないと、病気の再発には向かわないと考える。薬というのは個人に対して効験を持つもので社会性を持ってはいないというのが常識だが、その反対に社会的に病人を安定させているのはその人の精神の持ちよう、その人のものの考え方ではなく薬なのである。薬が病人を社会に繋ぎ止めているのである。病人は薬が病気を小康状態にしてくれているのを実感してから、始めて、自由にものを考え始めるのである。自分が普通にものを考えていると感じ始める頃にはもう薬による治療が奏効したあとなのである。

病気の良くなった患者がいるとして彼が一番留意しなければならない事は病気を再発させないことである。病的にならない、考え込まないためには何より自分の病気が再発していない事を信じることが必要である。ところが病気が良くなった精神状態というものは彼にとって未経験なものであるから、彼はまったく新しい経験をしていることを認識しなければならないのである。これは彼にとって不自然なことであり、むしろ自分は病気だ、病気だと思い込んでいる方が彼にとっては自然な事である。病人特有の暗さというものを彼は決して手放そうとしない。実際この暗さこそ、病気の良くなった精神という新しい経験などよりも患者に必要なものかもしれない。この暗さを身に付けている患者こそ、たとえどれ程彼が病気臭く見えようとも、真の意味で寛解した患者なのかもしれない。