以前、NHKのテレビドラマ「夏目漱石の妻」を見ていたら、エンディングテーマにシューベルトののピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960が使われていた。
ベートーヴェンも変ロ長調のピアノ・ソナタを2曲書いている。第11番作品22と第29番作品106「ハンマークラヴィーア」である。
この「ハンマークラヴィーア」というピアノ曲をワインガルトナーという指揮者・作曲家がオーケストラに編曲している。そのCDが、私の持っているこれ。
ワインガルトナーの指揮でロイヤルフィルハーモニー管弦楽団の演奏である。
以前、NHKのテレビドラマ「夏目漱石の妻」を見ていたら、エンディングテーマにシューベルトののピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960が使われていた。
ベートーヴェンも変ロ長調のピアノ・ソナタを2曲書いている。第11番作品22と第29番作品106「ハンマークラヴィーア」である。
この「ハンマークラヴィーア」というピアノ曲をワインガルトナーという指揮者・作曲家がオーケストラに編曲している。そのCDが、私の持っているこれ。
ワインガルトナーの指揮でロイヤルフィルハーモニー管弦楽団の演奏である。
できもしない事をやりなさい、やるのが当たり前ですと要求されると、その人は困惑や反感を通り越して、訳がわからなくなるものである。何か謎のようなお説教をされたように感じるのである。即ち彼は狂気に一歩近づく。何故狂気に近づくかというと、次のような例を考えればわかる。障害を持った人、例えば手の不自由な人に対して廻りの人が彼の障害を無視する。手の達者に動く人間と見なす。そうすると彼は、廻りの人たちの事を、酷薄だとか冷淡だとか考えるのを通り越して、彼らを狂人であると見なす。彼らは皆ことごとく狂っていると思わざるを得なくなる。その結果、当然の事ながら廻りの人たちもまた、彼を、手の不自由な人を狂人と見なすようになる。それでどちらの方が本当の狂人であるのかは、勿論力関係によって決まるのであるから、数において劣勢な障害を持った人が狂気とみなされる訳である。かくして無理な要求は当該者をして狂気に至らしめるのである。
例えば、その前半生のほとんどを重い病気の治療に費やした様な人は、残りの人生をできるだけ有意義に使いたいと願うものである。時間を惜しむものである。それ故彼は、彼に悪意を向けるような敵の出現を、極端に嫌うものである。なぜなら、その様な敵は彼にとって、二重の意味で脅威となるからである。現実における脅威であるとともに、さらなる時間の浪費をもたらす脅威となるのである。
(2013年8月7日の記事)