この病気はなかなか周りの人に理解してもらえない。それにもかかわらず、病人が家族と同居して生活する事ができるのは、家族が病気を理解してくれているからだろう。理解しているというより、慣れていると言った方がよいのかも知れない。病人に何かあると、家族は「またいつもの事だ」などと思うのだろう。
「またいつもの事だ」と思ってもらうためには、病人の言動が、いかに病的なものであるにせよ、ある一定の傾向を持っていることが必要であろう。病人は、入院して陽性症状を治療し、さらに服薬治療によって、陰性症状も改善する。治療によって、病人の精神には何らかの変化がある訳だが、病人の精神が一定の傾向を保つためには、その変化が急激なものであってはならない。端の人にとって理解を超えたものであってはならない。病人は、おもむろに、少しずつ快復していくのである。
ところが、ある急激な精神上の変化、それが病気或いは病気の快復と関連があるのかどうかは不明だが、病状の快復と並行してある急激な精神的変化が生じる場合がある。そうした場合、彼の家族は、彼の精神の変遷をたどることができずに、彼を理解しようとする努力を放棄してしまうことがある。哀れなのは理解を拒絶された病人である。彼は入院することにより社会的な権利を喪失したばかりではなく、家族に保護されるという、病人として所持してしかるべき特権をも奪われたのである。

