学歴は損?得? | 行雲流水~へき地の一人病理医の日常

行雲流水~へき地の一人病理医の日常

兵庫県の赤穂市民病院に勤務する病理医です。学士編入学を経て医学部に入学し、2004年卒業。病理専門医、細胞診専門医です。

 同じ出版社から、似たようなテーマで正反対の本が出ている。


中野 雅至
高学歴ノーリターン The School Record Dose Not Pay
溝上 憲文
超・学歴社会

 上が「報われない」という本で、下が「報われている」という本。


 まあ、この二つの本の「報われる」「報われない」の差は、就職できれば(大きな企業に入れれば)OKか、それは当たり前で、もっとお金や地位や権力が手に入るか、という程度問題だ。


 ただ、勉強があまり評価されない、勉強することが報われない社会だというのはその通りだと思う。


 勉強=学歴でなくてもいい。コツコツ何かを長い年月継続してやり続け、それでスキルを高めていくということが、馬鹿らしくてやる気にならない。そんな社会だ。


 理系なんてその典型だ。理系はどの分野でも、基礎をすっ飛ばして最先端に行くことができない。最先端は過去の膨大な蓄積の上にしかない。


 そんなことより、マネーゲームで買収だあ、株だあ、とバンバン稼いじゃうほうがいいと思うのは、ある種当然なわけで…


 コツコツとやる人たちを評価するような社会のほうが望ましいように、個人的には思う。ちなみにコツコツタイプの人は金銭的な成功をそれほど望んでいない。他人から評価されることが喜びなのではないか。



 ちなみに「ノーリターン」のほうは、金銭と社会的成功を求めている。定常化社会的には、それでは幸せになることはできない。職業以外に、コミュニティなどに生きる空間があれば、報われないと嘆くこともないのではないか。


 今の私は、NPOを運営している限り、社会的に報われないとかは感じない。