日々好日


昨日のブログで、少しだけですがLGBTQについて触れたので、
o0746108015208343949.jpg
ここで明言しておきます。

僕はLGBTQについては、何の感情も持ち合わせません。


ですから、差別だとか権利を認めろだとかいうお話にも

全く興味がありません。

そういう方々はご勝手になさっていただければいいと思っております。(^-^)


僕に被害が及ばない限りはね。(;^_^A




さてさて、、、

この日本という国。

歴史を紐解いていくと、昔から同性愛には寛容な社会でした。

古くは「日本書紀」に描かれていて、時期にして神々の時代から日本の男色文化はスタートしています。
blog_import_5c81a10f63aa9.jpeg

その後、時代が下って仏教の時代が到来すると、僧侶たちが読む経典に性行為は罪であると明記されるようになります。

実は相手の性別を問わず罪とする考えだったのですが、仏教には女性との性行為をより強く嫌う性質があり、

ここから段々と男色は許す文化が広まっていきました。

僧侶が男色の相手に選んだのは「稚児(ちご)」と呼ばれる少年修行僧で、時として貴族も稚児を囲うことがあったといいます。

さらに時代が下り、武士が支配する世の中になると、「衆道」と呼ばれる男色の形が広まっていきます。

衆道は主君とそれに仕える小姓(こしょう)の契りを指します。

衆道の始まりは平安時代後期でしたが、最も盛んになったのは戦国時代とのこと。
4930443a48036420a21ab1b54b0453a8.jpg
※こちらは有名な森蘭丸



このようにして日本の歴史に深く根差してきた男色文化は、江戸時代に大きく様変わり!
というのも、それまでは色事の一種だった男色を商売とした「陰間茶屋」が登場したんです!

この陰間というのは、本来は歌舞伎の修行中の少年を指す言葉で、

陰間が男性と性的関係を持つことは女形の修行として考えられていました。

そんな「修行」をする場所が「陰間茶屋」だったそうです。

時が経つにつれて陰間茶屋は売春目的に特化していき、陰間も男色を売る少年を指す言葉に変化していきました。



時は変わり明治を迎え、文明開化の名のもと西洋化が進むこととなります。

このときにキリスト教の思想が大きく入り込み、

生殖行為以外の性交渉は悪であるという考えに、大きく舵を切るわけです。


長々と書きましたが、、、

黒船の外圧によって昔からの慣習を捨てた日本が、

再度、外圧により制度を変えようとしている。


なんて弱腰なのでしょう。(T_T)


柔軟な姿勢といえば聞こえはいいかもしれませんが、

その場しのぎの主体性の無さとしか思えないのです。


まぁ、どっちに転ぼうが僕にとってはどうでもいいこと。


しかしながら、、、

大の大人。

それも国を代表する面々の姿勢がこのようなものであるとは

子供たちに見せられませんよね。


子供たちは大人の背中を見てますよ。


おエライ方々、そこをしっかりと認識してくださいね。



ではまた。(*・∀・)ノ゛