日々好日

Meta社の陰謀に負け、止む無く引っ越しするハメになりました、(T_T)

本格的な稼働は少し先になりますが、

こちらも引き続きご愛顧願います。

 

 

ではまた。(*・∀・)ノ゛

「『シルバーウィーク』っていう名前の存在を知らなくて、めっちゃ恥かきました・・・」

先日、こんなことをポロっと喋っていた生徒がおりました。

どうやら友人同士の会話で、「『シルバーウィーク』は別に予定なくてー・・・」とか話していたときに、「ゴールデンウィークみたいな連休やから『シルバーウィーク』って名前で呼んでみよ」みたいな友達だけのノリだと勘違いしたらしいです。

なるほど、実に微笑ましい(笑)

どこの誰が言い出したか分からないこの言葉、調べてみるとどうやら2009年頃から一般的に使う人が増えてきたとのことで、まだまだ市民権を得てから間もないと言っておきましょう。

別に何かに定められた正式名称でも何でもないわけですから、「秋の大型連休」くらいでも良いハズなんです。

みんながそう呼ぶからって、自分もそう呼ばないと『恥ずかしい』と思う必要も全くないと思うわけです。

あまり意味のない同調圧力のようなものですからね。



こういうことを言い出すとわりとキリがないのですが、石川県総合模試を受験する生徒の服装についても似たようなことを感じます。

「私服で行ったらメッチャ恥ずかしかった!」

毎年のように生徒の声が聞こえてきます。

ですので、私個人としては、初めて模試を受ける生徒たちには必ずこんな話をしています。

「先輩らの話によると、会場に来る子らは『ほとんど制服』らしいよ。私服の子はかなり目立つらしい。目立ちたくなかったら、制服で行くのがいいんじゃん?」

色々と思うことはありますが、

『え・・・みんなどうするん?』

っていう中学生がほとんどですから、先んじて今までの傾向についてはちゃんと伝えるようにしております。



模試の案内には、服装は「中学生らしい服装」というこれまた曖昧な表記がありました。

「可能な限り、実際の高校入試で着用する服装でご受験されることをお勧めしております。」とも。

もちろん、受験生の中には制服のない学校の生徒もいるでしょうし、もしかしたら学校に通っていない生徒もいるかも知れませんので、「制服」とも「制服が好ましい」とも書けないのは百も承知ですから、曖昧な表記をそのままにしていることはむしろ大賛成です。

ただ、「中学生らしい服装」に「私服」を選んだ受験生は決して恥ずかしく思って欲しくないし、周りも「うわ、あの人私服やーーー、めっちゃ目立っとるーーー!」みたいになるのは、やっぱり何か違和感というか不快感を覚えてしまいます。

まぁその子が仲の良い友達で、揶揄うことで笑いに変えてくれている、みたいな雰囲気ならむしろありがたいですが、よく知りもしない「少数」の他人のことを、自分が「多数」に属しているという理由だけでケラケラ笑っているような雰囲気は、個人的にはかなり嫌いですね。

とかく日本人はこういう状況に陥りやすい。

自戒を込めて、身の振り方は考えておきたいものです。



「状況をよく知らないで私服で来る子も少数おるやろうけど、『少数や』っていう理由だけで揶揄うような愚かな人間にはなるなよ。」

相手の立場になって考える、というのは、言うは易く行うは難し。

大人だってそうなんですから、子どもはもっとそうに違いない。

「また、『みんなそうするから』っていう理由だけで自分の道を選んだり、『みんなはそうしないだろうから』っていう理由でその道を選ばなかったり、っていうのは絶対にダメね。

大事な選択をするときには、『みんな』じゃなくて、もっと自分の内なる声に耳を傾けるべき。」

そういうことも、ちゃんと伝えて行きたいものです。



情報が少なかった時代なんかは、もっともっと自分との対話を深めざるを得なかったハズなんです。

だから、きっと昔の人は現代人よりも自分の中に答えを見つけようとしていた気がするのです。

それに比べ、現代人は自分も他者のことをよく見るし、逆に他者からの目に晒される機会も激増したと言ってよいでしょう。

結果として、より他者からの評価を気にし過ぎる傾向があるように思えてなりません。

身近なところで言えば、生徒らの進学先選びでもそう感じるのです。

「こう考えているのって変ですかねー?」

「こんな進路選ぶのって普通じゃないですかねー?」

きっと、大事なのはそっちの方向にはないよ。

もっと内なる方に、目と耳と心を向けてやってくださいね。

西野でした。

日々好日

こちらのブログですが、更新した際には必ず「Facebook」に書き込みをしています。
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まぁ、書き込もうが書かないでいようが、

「誰がそんなもん読むんだい?」ってくらいの

どうでもいいブログなんですけどね。(;^_^A


それでも足掛け10年以上、

コツコツ

コツコツ

コツコツ

書き溜めてきたものです。


で、そんなブログを告知してきたFacebookページですがね、、、

ある時から「リンクを張った投稿の上限回数を2回まで」としたとのこと。


昨日の夜、いつものようにブログを書き

いつものようにfacebookページに投稿しようとしたところ

急に

「毎月2件の投稿にリンクを追加できますが、すべて使い切りました。Meta認証にサブスクリプション登録すると、より多くのリンクを投稿できるようになります」


というメッセージが。


簡単に言えば、、、

課金しろや!!ゴルァァァァ!!
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ってことです。


SNSのイイ所って「無料」ってとこじゃないですか?

それを今になって「金払え。」って

どんな「ヤカラ」なのでしょうか。
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※あくまでもイメージです。w

まぁ、現在の所

鋭意、対策を講じ中ですが

どうなるやら。(;^_^A



一応、ブログは更新し続けますので

物好きな方は、探して見てやってください。w



ではまた。(*・∀・)ノ゛




日々好日

特異な才能もつ「ギフテッド」、教育支援拠点を拡大

文科省は学校への助言や学習プログラムの開発を担う拠点を増やします。
才能の伸長に加え、「反復練習を過度に嫌がったり、同級生と話が合わなかったりする」といった困難の解消をめざします。



数年前から文科省さんが推進している取り組みですが、、、

これ、なかなか難しい。(;^_^A

まずはギフテッドの定義ですよ。

wikipediaによると

ギフテッド(英: intellectual giftedness)は、平均より著しく高い知的能力を指す用語。多様な定義が存在する子供の特性であり、学校での教育内容に差をつける理由となる。ギフテッドの特性は成人後も持続すると考えられ、英才教育に関する過去100年間の長期的研究で様々な結果が報告されている。子供あるいは成人においても、一般に広く受け入れられているギフテッドの定義は存在しない。しかし、学校への入学許可の決定や個人の生涯を通じた長期的研究の多くは、上位2.5パーセントの知能指数(つまりIQ130以上)を持つ人々を対象としている。また、ギフテッドの定義は文化によっても異なる。

ギフテッドの定義は多様であり、総合的な高い能力を基準とするものもあれば、特定の分野で発揮される高い能力を基準とするものもある。例えば、一部の定義では、優れた数学の才能がありながら、同様に卓越した言語能力を持たない人もギフテッドに含まれる。特に、芸術的・音楽的能力と、一般に高IQと関係があるとされる高学力の関係については現在も研究が行われており、そうした高い能力をすべてギフテッドの定義に含める者もいれば、ギフテッドを才能(talent)と区別する者もいる。幼少期の特性の差がどのように成人後の能力の差に繋がるのか、またどのような教育内容やその他の支援が成人後のギフテッド的特性に繋がるのかについてはまだ論争があり、現在も研究が行われている。


となってます。


最近の風潮を見ていると、単に高IQだけで「ギフテッド」としたがる方が多いようですが

高IQは単純にIQが高いだけです。w

そんな中でも常人離れの特殊能力保持者のみが「ギフテッド」と呼べると僕は思います。
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ですから、お医者さんに言ってWAIS(ウェクスラー成人知能検査)を勧められ、

それによって高IQでしたというだけでは「ギフテッド」ではないということを認識していただきたい。


僕はMENSAのメンバーですが

同じメンバーの中で発達障害やアスペルガーの方も多くおります。

そして、全てのメンバーが「ギフテッド」であるわけもありません。


誠に申し訳ない話なのですが、、、

この仕事ですから「ウチの子はギフテッドなので・・・・」という話をされることもありますが、

未だに見たことはありません。(;^_^A


確かにMENSAのメンバーでは「それらしい人」は何人かお会いしましたがね。



なので、

IQがどうであれ、訓練しなければタダの持ち腐れです。


その点をご理解いただければと存じます。



まぁ、文科省さんのされてることは、どこか的外れなんですよね。(苦笑)

無駄金にならないようにね。





ではまた。(*・∀・)ノ゛



「先生ー・・・平衡の移動の問題なんですけど・・・アルゴンを加えたとき、『体積一定』のときと『全圧一定』のときって、どういう風に考えるんでしたっけ??」

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おー、確か夏休みに1度説明した問題でしたっけかね、

『どういう風に考えるんですかー?』

じゃなくて、

『どういう風に考えるんでしたっけ?』

ですから、ニュアンスが全然違います。

今回は後者ですから、

『あの時はハッキリ理解できたはずなんですけど、うっかり考え方を忘れてしまって、どうしても思い出せそうにありません。お手数ですが、もう1度確認させてもらってもよろしいでしょうか?』

と受け止めました。



「よしゃ、キーワードは、『分圧の和』ね。分圧を集めるから『分圧の和』やけど、『全圧』とは違う、ってことに注意しながら聞いてくれよ!」

そうそう、何かそういうこと言ってた気がするなー、なんていうちょっと申し訳そうな顔をしていましたが、いえいえあまり気を遣わなすぎぬよう。

誰しもが忘れてはならないことを忘れてしまうのが人間ってもんですから、いつだって『次こそは』の精神で学びを重ねればいいんだと思います。

私も私で、初めての説明の時では出来なかったことを2回目の説明の時に出来たりもするから、これはこれで悪いことなどほとんどなかったりします。

「固体の時は増やそうが減らそうが平衡は移動しない、これは大丈夫、やね?あと、平衡は変化を妨げる方向に移動する、これも基本中の基本、やね?」

「その辺は大丈夫でした!余裕です!!アルゴンだけっすね、どっちかが『移動しない』やったのは覚えてますけど・・・あやふやになっているので、そこだけしっかりしときたいです!」

今回は「体積一定」と「全圧一定」の時の状況に相違をしっかり把握することが目標ですが、その周辺知識をしっかり踏み固めつつ、歩みを進めていきます。



そう。

彼の言うように、定期テストの直前なんてそういう勉強になりがちなものです。

『よく分からんけど、「体積一定」のときは平衡は移動しない、で覚えとこ・・・。「全圧一定」のときは・・・どっちに動くんやろ?まいっか、係数の和が大きくなる方に動く、で覚えとけばいいんかな・・・。』

しっかりとした理解をせずとも、点数につながるための勉強は確かに存在します。

しかし、当然ですが、そんなメッキはすぐに剥がれます。

「よし、じゃあ両方の違いを明確にしながら図でイメージするところから始めよう!」

遠回りこそ、正解に近づく唯一の方法。(←かも知れない)

丸暗記など放棄して、一つ一つしっかり論理を構築して記憶に留める努力をします。

この作業、わりと私は楽しく感じています。

「そうやー・・・。」

初めての説明でない、何度か同じ説明を聞いている際の表情からは、

『そうそう、それを思い出したかったんですよー、あー、全然難しくなかったなー何で思い出せんかったんやろ・・・。くそー、今度こそ覚えるぞ!』

っていう声にならない声が溢れ出ている感じがして、やっぱりこれはこれでとても良い復習ですから、とても好きな時間だったりします。



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「もう大丈夫です!ありがとうございます!!」

そういうやり取りをして、今日は終了。

きっと、何日かして、

「さて問題です。平衡が移動しないのはどっち?『全圧一定でアルゴンを注入』それとも『体積一定でアルゴンを注入』、さあどっち!?」

私から聞かれてしまいますから、そのときにどんな表情を返してくれるのか、楽しみにしています。




時折、こういうやり取りを意識的にしています。

私はこれを、「手入れ」と位置付けています。

新しい知識を「手に入れ」た後に、それが正常に機能するように「手入れ」をする。

とかく人間は色んなものを手に入れようと必死に頑張りますが、一旦目的を果たしてしまえばそれの手入れはおろそかにしがちですからね。

せめて勉強に関しては、手入れこそ楽しんで行って欲しいと、そう願っているわけです。



「問題!前線が出来るのは高気圧?それとも低気圧?」

一生懸命に自習している中3生にも、矛先は向けられます。

「低気圧!もう覚えましたって・・・。」

どうせ聞かれると分かっていたのでしょう、半分笑顔、半分諦め顔でこちらの様子を伺っています。

「いや、昨日ヒドかったからな・・・。続きます!低気圧は上昇気流?それとも下降気流?」

「上昇気流!で、雲が出来る!でしょ!」

「じゃあ左と右に前線が伸びていたとして、温暖前線はどっち?」

「右!」

「じゃあ速く・・・」

「寒冷前線!で、追いついて閉塞前線が出来る、ですもんね!!」

よしよし、調子が出てきた。嫌そうな顔はもうありません。

「じゃあラスト、温暖前線の前後ろ、寒冷前線の前後ろ、雨が降っていると考える場所を2つ選ぶとすると・・・」

「あーもう絶対聞かれると思った!えっとですね、待ってくださいよ・・・。うん!温暖前線は通過する前、寒冷前線は通過した後、これで!!」

にっこり笑って、

「かんぺき!」

親指を立てて見せると、

「よしっ!」

これまた素敵な笑顔を返してくれました。



忘れるということは、人間にとって最も優秀な機能の1つだと信じて疑いません。

しかし、受験生なんていう生き方をしていると、敢えて機能不全を起こさせる必要が生じます。

当然ストレスがかかるわけですが、この多少のストレスだって人間にとっては必要不可欠なものであるわけですから、やはりこれらのバランスが大事だということなんでしょう。

忘れていくこと自体を責め過ぎず、忘れないためにどう行動するか、に注力する。

そう、手に入れたものを、手入れする、です。

物を大事にする精神と、何ら変わりません。

人生にとって大切なことを、受験勉強から学べばいいんだと思っています。




「さて問題です。平衡が移動しないのはどっち?『全圧一定でアルゴンを注入』それとも『体積一定でアルゴンを注入』、さあどっち!?」

私は手に入れることよりも、もしかすると手入れの方が好きなのかも知れませんな。

忘れた頃に、ニコニコ笑って攻めてやろうと思っています。

覚悟しておれ。

西野でした。