『憲法的刑事弁護』 | 空気を読まずに生きる

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弁護士 趙 誠峰(第二東京弁護士会・Kollectアーツ法律事務所)の情報発信。

裁判員、刑事司法、ロースクールなどを事務所の意向に関係なく語る。https://kollect-arts.jp/

我が恩師の高野隆弁護士の還暦を記念し、『憲法的刑事弁護』という本を日本評論社から出しました。

以下、私が書いた「あとがき」を引用します。

ちょっと高いけど、まだの方、是非ご購入下さい。

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 私は高野隆先生の3つの顔を知っている。

刑事弁護人高野隆

 私は刑事弁護人としての人生を高野隆法律事務所でスタートさせることとなった。それから4年3か月、私は実に多くの事件で高野先生とともに弁護活動をし、そして間近で刑事弁護人高野隆を観察することとなった。

 刑事弁護人高野隆の世の中のイメージは、過激、堅物、おそろしいというところだろうか。確かに刑事弁護人高野隆は時に(常に?)過激な主張をし、時に(常に?)堅物で、そして時に(常に?)おそろしい。しかしこれらは決して刑事弁護人高野隆を正しく表した言葉ではないことに私はすぐに気づいた。

刑事弁護人高野隆の真髄は、誰よりも創造性に溢れ、誰よりも知性に溢れ、そして誰よりもユーモアに溢れているところにあるというのが、私が辿り着いた結論だ。

 坂根真也弁護士が本書の中で「髙野隆は、物語力に極めて秀でている」と評したが、私も全く同感である。すべての事件について、その事件の本質を突いた物語として事件を語る、これが刑事弁護人高野隆の真髄の一つである。それは刑事弁護人高野隆が他の誰よりも創造性に溢れているからこそなせる業ではないだろうか。

 刑事弁護人高野隆と言えば、法廷での反対尋問や最終弁論の技術がクローズアップされがちであるが、それだけではない。刑事弁護人高野隆の大きな特徴の一つに、「憲法的刑事手続」の実現がある。刑事弁護人高野隆は常に手続の正当性にこだわりをもち、上訴審においては徹底的に原審手続の違法を追及する。そこには憲法にまで遡った理論があり、他の追随を許さないほどの知性に溢れている。感情的な議論は皆無である。

 そして、刑事弁護人高野隆の法廷は、純粋におもしろい。刑事裁判はまさに人の人生がかかった場であり、「おもしろい」とは不謹慎だと思う人がいるかもしれない。しかしそれは誤りである。刑事裁判とは、法廷という公共の空間で、当事者が「陳述」「証言」「弁論」という、口頭による、一回性の媒体をもって事実認定者を説得する場である。言わば舞台である。事実認定者を惹きつけ、そして説得するためには、その場がおもしろくなければならない。そこにはユーモアが必要不可欠である。ここでいうおもしろさとかユーモアとは、単に笑いを起こすという意味ではない。人を説得する上で必要なおもしろさでありユーモアである。刑事弁護人高野隆の法廷は、自由で、ユーモアに溢れている。その結果、その場にいるすべての事実認定者、当事者、傍聴人がその審理に熱中する。

本書の「弁論集」ではその一部を垣間見ることができるであろう。

Clinician高野隆

 私が刑事弁護人としての人生を歩むことになったきっかけは、Clinician高野隆のもとで学んだからである。

 Clinician(クリニシャン)とは、臨床法学教育者と訳すことができよう。高野隆弁護士は2004年からの5年間、早稲田大学ロースクール教授として教鞭を執った。ロースクール草創期に刑事弁護や刑事証拠法についての講義を担当するとともに、「刑事クリニック」の教員となった。刑事クリニックとは、ロースクール学生が教員とともに現実の事件の弁護活動に取り組む授業である。2004年からの5年間の早稲田大学ロースクールでの刑事クリニックの授業は、高野隆弁護士とともに、本書でも論文を寄稿してくださった四宮啓弁護士という稀代のClinicianのもとで行われた。

 私は2004年に早稲田大学ロースクールに入学し、そこでClinician高野隆のもとで刑事クリニックを受講することとなった。それまで刑事弁護に興味がなかった私が、この刑事クリニックに参加したことをきっかけに、刑事弁護人として弁護士人生を歩むことになった。

 Clinician高野隆は、学生の自主性を徹底的に尊重した。そのおかげで、学生たちは各々の事件について、「自分の事件」として依頼者の利益のために、学生なりに全身全霊を注ぐこととなった。不当な身体拘束に対しては、最高裁判所への特別抗告をすることも辞さなかった。数十ページにも及ぶ保釈請求書(その内容はもはや一大論文とでも言えるようなもの)を起案したりもした。これらの起案について、Clinician高野隆は最低限のフォローだけをし、学生の意見を大いに尊重してくれた。その背景には、学生が何人かで力を合わせて弁護活動に取り組めば、一人の弁護士がする弁護活動よりも遙かに効果的だというClinician高野隆の確信があったのだろうと思う。現にこの頃の刑事クリニックはさまざまな画期的な決定を獲得するなど、大いに成果をあげた。

こうして私たちロースクール生は、いつのまにか刑事弁護のスピリッツを徹底的にたたき込まれ、実務の世界に飛び立つこととなった。Clinician高野隆のもとで刑事弁護を学び、刑事弁護に目覚め、刑事弁護に惹かれた多くの学生が、現在全国で刑事弁護人として大活躍している。

校長高野隆

 2009年5月21日、裁判員裁判がスタートすることとなった。それまでの書面中心の刑事裁判から、公判中心、口頭主義の刑事裁判へ変革が求められる中、弁護人の法廷での弁護技術も改革が求められた。このような時代が来る遙か前から、公判中心、口頭主義の刑事弁護を実践していた高野隆弁護士は、弁護技術の改革の中心人物となった。2008年1月にはアメリカからNITA(National Institute for Trial Advocacy;全米法廷技術協会)のインストラクターを招聘しての研修を企画するなど、法廷弁護技術の普及、発展に尽くした。その後も、全国各地での弁護士会主催の法廷弁護技術研修の講師を務め(現在までに46都道府県で研修講師をしたとのことである)、現在の裁判員裁判の礎を築くこととなった。

 このような弁護人向けの法廷技術研修をより深化、発展させるため、高野隆弁護士は2013年1月に東京法廷技術アカデミー(Tokyo Academy of Trial Advocacy;TATA)を設立し、校長高野隆となった。そして私も設立メンバーの1人として、法廷技術の発展に力を尽くすこととなった。

 ここでも校長高野隆の刑事弁護、法廷弁護技術の伝承への熱意は誰よりも大きく、効果的な研修を実施するためには、現実の法廷とできるだけ同じ設備を整えるべきだと強く主張した。まだ財政的基盤が全くない中で、私たちの慎重意見を振り切って、裁判所に設置されているものと全く同じ「法廷ITシステム」(書画カメラやタブレットなどを含む一連のITシステム)を導入し、あげくの果てには常設の模擬法廷まで作ってしまった。

 また、弁護士会が主催する研修は無料であり、弁護士の中では研修(少なくとも刑事弁護の研修)は無料だというのが常識となっている中、TATAの研修は有料であり、かつ、長いときには5日間連続というこれまでの弁護士会の研修では考えられない内容で実施されている。ここにも、これまでの常識にとらわれず、自由な発想で効果的な研修を考える校長高野隆のこだわりが見て取れる。TATAのメイン研修である「5日間ワークショップ」では、受講生個々の課題を見つけ、その課題を克服するために課題に繰り返し取り組むなど、講師が5日間かけて親身に指導をしている。その他にも弁護士会の研修では実現できないような、充実した密度の濃い研修が日々行われている。

 このような校長高野隆のもとで法廷弁護技術を学んだ多くの刑事弁護人がいま全国の法廷で活躍しようとしている。本書弁論集に掲載したような最終弁論が全国各地の法廷で当たり前のようになされる日もそう遠くないであろう。 

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 高野先生が還暦を迎えるこのタイミングで、何かしら世に役立つ本を出そう、それがこの約10年間の高野先生を一番近くで見てきた私の役割ではないか。ふと思い立った私は、吉田京子さん、高山巌さんに声をかけた。そして高野先生が何度も法廷で相まみえ、「この人に出会わなければ刑事弁護人をやめていたかもしれない」とまで言う、元浦和地裁裁判長の木谷明さんに編集代表をお願いした。みなさん即答で快諾してくださった。そして、どのような本の内容がふさわしいのか議論をした。

 その中でたどりついた結論は、「憲法的刑事弁護」の名にふさわしい、憲法学者と刑事実務家による珠玉の論文集とともに、高野先生の弁論を広く世に知らしめることがこれから先10年、30年、50年の刑事弁護に役立つのではないかということであった。

論文集では、「再審」、「経験則」、「接見禁止」、「証拠保全」といった普遍的なテーマについて、まさに骨太の論文を掲載することができたと自負している。特に、木下昌彦准教授の「接見禁止の憲法的統制に向けて」は、憲法学者が接見禁止制度について論じるという、これまでに例がない内容であり、裁判所による接見禁止決定が常態化している現状に風穴を開けるものになることを大いに期待している。また、「弁護権」、「効果的な弁護を受ける権利」に着目した和田論文、大橋論文は、われわれ編集者の問題意識も大いに反映したテーマとなっている。これらの論文が、全国の弁護士数が増え、国選弁護も拡大する中で、「効果的な弁護を受ける権利」というこれまで日本ではそれほど注目されていない権利が確立する契機になることを信じている。

弁論集については、日本の刑事弁護人の弁論集を紐解くと、大正から昭和にかけて活躍した花井卓蔵の「訟庭論草」など、いわゆる古典にまで遡ることとなる。それほど現代の日本の刑事弁護人の弁論を書籍にすることは類例のないことである。それは、書面主義が支配する刑事裁判の中で、書籍にするに耐えうるおもしろい弁論が多く存在しなかったからなのかもしれない。だからこそ、高野先生の弁論を読み物として広く世に広げる価値があるのではないかと私たちは考えた。

さらには、実際の事件について、担当裁判官や無罪になった依頼者を交えた座談会も画期的な企画であり、非常に興味深い内容となっている。

 

本書が、日本の刑事裁判を活性化させ、刑事裁判の法廷を活き活きとおもしろいものにし、そして私たちの依頼者の権利を守ることに少しでも役立つのであれば、また10年後、古稀記念に続編を企画したい。

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