今日、無罪を確信していて、確信できるだけの証拠がそろっている痴漢事件の判決があり、有罪判決だった。
裁判官は、裁判官として最もやってはいけないことをした。
無辜を罰した。
裁判官に対して思うところは山ほどあるし、全てを裁判官のせいにしたい気分ではある。
しかし、弁護活動で足りないところがなかったかと問われれば、まだまだできたことはあったと思う。
全てを裁判官のせいにするのは簡単。けどそれを言っては自分の進歩がない。
自分への糧にするしかない。
また、こういう「ありえない」判決を積み重ねることが、刑事弁護士としての説得力を得るために必要なことだと思うことにする。
ところで、裁判官は無辜の人に向かって、有罪と判断した理由をとうとうと述べ、最後にこう言った。
「あなたが、事件直後から一貫して事件を否認していることは、裁判所も重々承知しています。あなたには控訴をする権利があります。控訴をするには・・・」
健全な社会常識にてらして、合理的な疑いを差し挟まない程度に、この人は痴漢をしたんだと判断したにも関わらずである。
私はこの一言に裁判官の迷いを感じた。
そして、その迷いは、まさしく「健全な社会常識に照らした合理的な疑い」なのではないかと思った。