やってることがマニアックだと思いますが、それなりに意味はあると思います。
1 語彙が身につく
もちろん単純に読んでるだけではだめで、高速で読み回すとか、自分で整理しながら読むとか、工夫は必要だと思いますが、これは結構意味があるように思います。
特に、(私は受けていないですが)英検1級だとか国内の英語資格をある程度取得する、あるいは、洋書を多数読破するなどして使用頻度の高い語彙を身につけると、そこから語彙を増やす手段としてはこれくらいしかないようにも思います。
ここでいう語彙というのは、2万語前後の語彙で、アメリカでいうと全国紙や雑誌、専門分野に入らない程度の書籍といったレベルの書籍を読んだり、NPRやABC等のメジャーメディアを聴いたりする程度のレベルをいいますが、何だかんだ言ってそれなりにレベルの高い語彙を使っていることも多いように思います。
もちろん、小説や専門書、スラングや方言といった内容になってくると辞書だけでは対応できない部分があるのも事実ですが、あちらの大卒程度の人間が読み書き、会話したりする程度の現代の一般的な語彙は理解できるようになるというのが僕の実感です。
2 単純に面白い
それから、完全に趣味ですが、単純に言葉を集めて回る、あるいは、ちょっと散歩にでかけて面白いものを拾ってくるといった感じがあり、これだけでも意味はあるように思います。
よく、無人島に何を持っていくかという質問がありますが、辞書って結構いいんじゃないかと。
この意味では、日本語の辞典でもいいわけですが、手元にある岩波国語辞典に面白いことが書いているのを見つけたことがあります。
それは、「あげる」という単語の意味の箇所で、「(て)やる」を避けて言うと説明されているのですが(つまり、~してやる、ではなく、~してあげると言う)、これは1950年ごろから増えた本来の敬語用法をくずした誤用であり、2007年に文化審議会が是認したという説明がされています。ここからは著者自体が納得していないことが感じられますが、国語に関する深いバトルが展開されていることが読み取れて新鮮な気がしたことを覚えています。
3 著者に対するリスペクトが得られる
最後に、理由というより効果といった方がいいかもしれませんが、辞書を作る人がいてこそ、言葉が保存され、さらに活用されていく面もあるわけで、特に歴史ある辞書になると何十年、あるいは何百年にもわたってその作成に関与している人がいることが想像されて、しかも言葉が好きな人がいることに(一方的な)親近感がわくように思います。
だから何だと言われるとそこには大きな意味はないかもしれず、完全に自己満足なんですが、作ってくれた皆様、ありがとうございましたと、(ネットの端っこでこそっと)伝えたいと思います。