妖怪つゞら -3ページ目

妖怪つゞら

妖怪のおもしろさ、伝えます♪

はじめたばかりのブログ放置しておりましたが・・

本日やっと試験終わったー。。。FPの試験なので妖怪とはまったく関係なしです(*゚ー゚*)


ともあれ、

晴れて妖怪つゞら、再開します!


さて、小豆洗いが洗う豆がなぜ「小豆」でなくてはならなかったのかは


小豆洗いがあずきを洗うワケ 2 で述べたとおり


小豆の持つ神聖な力、霊力こそが人々の恐怖心をあおるのにうってつけの役割を果たしたからである。


しかし、この小豆洗い、基本的に姿を現さない音を立てるだけで姿をめったに現さない妖怪である。


だからこそ、その正体は様々な憶測を呼び


いたち、カラスの鳴き声、たぬき、カエル、はたまた砂利道を人々が踏みしめていただけ?!Σ(゚д゚;)。。


などと、諸説ある。


たまに「いや、私は小豆洗いをみたぞ!」という人が現れても


愛媛県松山市では 50歳ほどの女性が川の洗い場で小豆と米を洗っていたり、

(不吉なものとして気味悪がられていた(-"-;A)


一方、茨城や佐渡島では背が低く目が大きい法師姿であったりと

(こちらは縁起のいいものとされ、見たものの娘は早く良縁づくというv(^-^)v


全国各地でその容姿や効能、扱いはてんでばらばらだったという。




竹原春泉斎「小豆洗い」



小豆洗いというと、「腰を曲げた僧侶がしょきしょきと小豆を洗う」姿を想像する人は多いのではないか。


水木しげる先生も良くお描きになられてます^^


竹原春泉斎のあまりにも有名な小豆洗いの絵の通り。


というよりも、小豆洗いを描いた絵というのは、これしか残っていないのだ


さまざまな姿での伝説が残るのにもかかわらず、不思議ではないだろうか。


ここにこそ、妖怪を絵図に残してしまうことのデメリットがある。


絵は視覚に直接うったえるので、文章のように取り入れた情報を咀嚼する必要がなく、


非常にわかりやすい。


そのため、妖怪絵師の描く絵は庶民の娯楽として普及していったが、


一方でそれは、「この妖怪の姿は、こうである。」と断定してしまうことにもなってしまう。


姿かたちがわからず、憶測であれこれ噂が噂を呼ぶ、


その曖昧な状況こそ、私は妖怪誕生のきっかけであると思う。




決して、最初から「小豆洗い」という妖怪がそこにいたのではない。




―――――夜。


「暗闇で、何やら音がするぞ。。。」


しょき、しょき。


「洗っているのはどうやら小豆のようだ」


「この食べ物がない時代にあんなに沢山の小豆を洗っているなんて・・・神様か?悪魔だろうか?」


そうした人々の会話から、



小豆洗い」ではないか?。。。


と、得体のしれない状況に名づけをすることで、


姿は不明だが、小豆洗いという存在がいるという共通の認識を抱かせることになる。




小豆洗いを例に出したが、


理解できない状況の説明を整理し、納得させる役目として「現象に名づけをする」ことは、


妖怪誕生の基本であるといえるだろう。