…というわけで、制裁の意味を考えよう。
刑罰は加害者のため、被害者のため、社会のためという側面を考えることが出来る。どれか一つでも認めない考えは偏狭である。
(裁判についても同様である。
「犯罪にあえば、誰でも無念の思いにかられ、裁判所が加害者を処罰して無念を晴らしてくれるものと期待しますが、裁判所は加害者の権利を守りこそすれ、被害者の味方ではありませんでした。最高裁判所は、刑事裁判は社会秩序維持を護るためにあるので、被害者のためにあるのではないというのです(1990年判決)。」http://www.navs.jp/introduction/introduction.html)
さて、加害者のためという側面をまずは見よう。犯罪予防の観点から言えることは、第一に、罪に対応する罰を予め知らせておくことによる犯罪抑止、第二に、見せしめによる犯罪抑止、第三に、教育による再犯の抑止という刑罰の効果が、加害者ないし加害者になるかも知れない者のためになっているということである。無論、これらは被害者ないし被害者になるかも知れない者及び社会のためにもなっている。
(死刑になるような犯罪を犯す人間に対して第一のものの効果が期待できない事は先に述べた。第二のものは、効果はあるが、凶悪犯罪者にも効果があるようにするのは現実的に不可能である。その理由は、あまりに冗長すぎる議論になりそうなので省略するが、凶悪犯が極端に身勝手な人種である事に起因する事だけは間違いない。
第三のものは、犯罪者を教育して二度と犯罪を犯さないようにさせる教育的効果がある。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/目的刑論
同一犯罪人の未来に対して厳格であらねばならないのだ。しかし、厳罰により凶悪犯罪人の再犯を防ぐ事は難しいだろう。果たして、異常性癖のあるレイプ魔が懲役刑という〈教育〉だけで更生すると考えるべきだろうか。もちろんそのような厳罰は必要なものだが、十分ではない。更生させるには治療が必要な場合もある。この点で日本は欧米に比べて遅れている。ここでは制裁の意味を問うているので、死刑になりそうにない罪についても考えている。)