ちょっと面白かったのでメモっておこう。

今日子供達の髪を切った帰り道
夕日が街にあたって奇麗だったのをみて、おにいちゃんがピンときた。

「ママー、ゆうけつきってしってる?」

「ゆうけつき・・?」

「ほら、血のなんとか・・・・」

「吸血鬼(きゅうけつき)ね!」

「吸血鬼の苦手なものって知ってる?」

「うーんと・・・にんにく!!十字架!!あとね・・・・うーん??日光!」

「正解~!」


とここまでは普通の会話だった。
なるほど、それで吸血鬼と合点もいった。

「じゃぁ、もし吸血鬼にあったら、なんていう?」

ここで考える。そして一言。兄がいう。
「顔色悪いんじゃない?!病気?!」

私爆笑。
思いもしなかった。確かにあいつらは、顔色が悪い!!
でも、そういう事考えないよね。
あれが普通だと思うもんね。
そういう目線もあるんだなぁって、新鮮でした。というか、今日1番面白かった。

ちなみに、兄のゲームの吸血鬼は”普通のラーメン”をたべていました。意外と好き嫌いにんにくだけじゃない?!

発達障害を持つ人が、最近、大きな事件を起こしたことで、またちょっと”発達障害”という言葉が目立つようになった気がする。

赤い人がいて、青い人がいて、黄色い人がいて・・・
いろんな人がいるのに、並べ!といわれなくても、さらっと並べちゃう。
それが日本人の良い所ってよく言われるよね。
誰に教えられるわけでもないのに、人を助けたり、相手を思いやったり、なぜか不思議とできるようになっていく。。。

だけどね
そんな協調性と思いやりにあふれた世界だからこそ、、、発達障害の人は本当に生きにくいんだろうなって思うんだ。

みんながみんなそうじゃないけどさ
少なくともわが家の上の子は、集団が苦手。みんなで何かするって事、合わせなきゃいけないって言う事が苦痛で仕方ない。
会話もそうだけど、自分の気持ちの切り替えがなかなかうまくいかないんだろうね。
且つ、感想を発表してください、役割でこれをやってください。誰もが責任を持ってできるチャンス!
でも、自分で考えて行動を起こすってことも、おにいちゃんは苦手でさ、、、
注目を浴びるチャンスも、責任を持たされることも
情緒が不安定になるんだろうね。。。まだまだ補助が必要なんだ。

私もそういう事が苦手だった。
人に会わせること、人の気持ちを考える事。
全然できなくて、全く違う行動とか、空気の読めない事を言ってたと思う。
言われてカチンとくることも平気で言ってたんじゃないかな。だから普通にいじめられてた。
だから解らなくもない。息子の気持ち。でもいっちゃうんだ。。。相手の気持ち考えろって。
それが一番難しいのにね。

彼らにだって心はある。
普通の子より多くの感情で支配されているわけではないけれど
大事にしてくれる人は解るし、自分を嫌っている人も解るだろうね。

そして思春期。そろそろ出てくる頃かな??

最近多いよ。
口が元で、暴力をふられたり、相手に嫌われること。
やっぱり大きくなってきたからだろうね。社会がそれを良しとしなくなってきた。
本人はどこまで気が付いているだろう。

良かれと思ってるわけじゃないよ。でも犯罪を起こしちゃう人がいるとしたら
皆から嫌われたと思い込んで、一人ぼっちにされて、自分の場所が無くなってしまうから
自暴自棄になったり、不安になったり、なにかスイッチがはいって、思わず衝動に走ったり、計画に移してしまうんだろうね。

発達障害の人が事件を起こしたとする。
それを”発達障害があって育てにくかったから”と家族が言ったとする。
たとえそれが事実であったとしても、なかったとしても、要因は本当に”発達障害”だけだったんだろうか。
確かにそれが引き金の1つになったのかもしれない。

でも、大事なのはその人を支えなかった事、周り、社会が問題視されるべきじゃないかなって思うんだ。
と、友だちが教えてくれた。
私もそれを聞いて、激しく共感した。

社会だけが悪いとは言わない。
だけど、自分が育ったころの社会はどうだった?
旦那が育ったころの社会は、離婚家庭ってだけで、白い目だったよ。母もそうだと言っていたよ。
私が育ったころの社会は、個別級はあったけど、何をしているのか、謎の空間で、恐ろしいものがあったよ。
知的障害者がはいる施設が家の近くにあったけれど、よくわからない人がうろうろしてて、本当恐怖でしかなかった。

解らないから怖い。何を考えているか見えてこないから、何をするかも解らない。
だから敵視もするし、理解もできない。
気持ちはわかる。
でも、彼らは少し皆とは同じ学び方では覚えにくいところもあるけれど、入らないわけじゃない。
私達の気持ちを、言葉で、絵で、伝わりやすい方法で伝えたら、きちんと理解してくれる。

めんどくさいよ。育てにくいよ。その気持ちも解らなくはない。
うちにはどんな縁か2人もいるんだ。誰よりも解るつもりだよ。

だけど、一緒に生きていく事は苦痛じゃない。
自分が知らない世界を、彼らの視線で教えてくれる。言葉で語ってくれる。
そんな世界があったのかと思える時もある。あたらしい世界が見えてくる。

言葉が通じない人に、ボディランゲージで言葉を伝えていくように、
発達障害の人にも、伝えていってほしい。根気強く。

社会全体替えてほしいとか、思ってない。むり。
でも、1人でも、彼らに言葉を伝えてくれる人がいてくれたら、ちょっとだけでも私達が望む世界になっていくんじゃないかな。
私はそう思うんだ。

実は今まで、ブログをサボってました。
めんどくさかったのも1つ。
ブログ読んでいちいち反応されるのが嫌だったのも1つ。
わりと、私もほっといてほしいかまちょなので・・・ただ、こんなブログ書いてると個人特定されちゃうのよね。(笑)
実生活で”発見しました!”と報告されて、照れくさくなった事もあります。てへ。

でも、今日、ママ友と話していて思った。
もっと書いていこうと思う。
私だけにしか発信できない事もあると知った。

発達障害の人たちが、我が息子達や同じ境遇の子供達が、もっと生活しやすい社会になってほしいから。
私はね、知識もないし、難しい言葉も使えないから
彼らが思う事、彼らの行動そのままに伝えていこうと思うよ。

普通の人たちが読んで、こんな風に思ってるんだなぁって感じてくれたら嬉しいな。

今年で関東に来て16年目となった。早いね。

毎年年3回、実家に帰らせてもらっているのだけど・・・
いつからだろう。
実家に帰りたくなくなった。

帰っても楽しいと思えない。

20代の頃はめちゃくちゃ帰りたかった。
上の子ができても、帰るのが楽しみだった。
久しぶりにふれる地元の空気に、此処が帰るべき場所だ!と思うほどだった。

でも、いつからだろう。
実家に帰りたくなくなった。

会いたい人も、行きたい場所も、無くなったからだろうか。。。

私が知ってる風景、私が育った場所、それが1つずつなくなっていく。
時代は変わる。住んでる人も変わる。それは仕方のない事。
時代は進む。風景も進む。
だからかな、浦島太郎の自分が、もう私の場所ではないなと思うようになってしまった。

家族で一緒に帰る自分が知ってる風景を、あたらしい家族に伝えるのは楽しかった。
一緒に旅をしているようで、それも新鮮だった。
だけど、、、同じ場所ばかり。
実家に帰って、車の無い生活。
なんとなく家事をこなして、ほぼほぼ育った町から出ずに、終わっていく毎日。

なにがたのしいんじゃーーーーーーーーーー!!!

だから愚痴をこぼすようになってしまった。
あまりにも退屈で、春は上の子を連れて、電車にぽーんとのって・・・しまんとトロッコまで乗りに行ったっけ。
知らない風景、知らない電車、知らない場所にいける方が
自分にとって新鮮で、とっても楽しいし、旅した!!!!!って感じになったなぁ。

私、小学校の修学旅行が九州だった。たぶん大分、熊本。家族旅行でいった長崎。それが最南端。
昔付き合ってた彼氏が、青森の人で、連れて行ってもらった。青森。それが最北端。
でもそれ以外の県とかあまり言った事なくて、たとえば中国地方の上の方とか、愛知とかも通過点で、降りた事はない。

実家じゃなくていいじゃん!!って思う。
でも、下の子がみたいという家族の希望で、夏に3週間も帰らなきゃいけない。
ちょっとでいいじゃん!!

わがままだけど
私には居たい場所と、会いたい人と、一緒に過ごしたい人たちがいる。
それがこの川崎でしか叶えられないから
余計帰りたくないんだろうなって思った。

 

家族じゃ埋められないんですよ。この気持ち。解ってもらえたら幸いです。


 

まさかこんな日が来ると思ってなかった・・・。

2つ目の療育手帳を交付してもらう事にした。明日申請。

解ってはいたけど、痛烈だ。
弟が、B1判定されてしまった。。。

おにいちゃんはともかく、弟は言葉を一切喋らない。
「言葉をしゃべらなければ1歳だろう。」
旦那はさらっと現実を受け入れた。

言葉の所は・・・1歳切ってましたけどね(苦笑)

川崎市、B1、療育手帳で検索かけたら、私のブログが上位でヒットして、逆にびっくりした・・・
2011年。あれから7年。また手帳交付するとか、本当に複雑。

そうそう、療育手帳なんだけど・・・・
小学生は変わらないけれど、中学生で手帳を持っていると
特殊学級へ編入となるらしい。
手帳を持っていなければ、通常級のみの扱いとなる。と去年教えてもらった。
だから、中学校から通常級を考えているお母さんは手帳の交付を検討していたり、返納していたりするみたい。
ここは子供の進路で大きく変わるから、知っておいてもいいかもと思った。

控除については
”とくじ”=特別児童手当が、毎年減っている。ちょっとずつ。
携帯は、ハーティ割引でどこでも作ることができるけれど、本人名義で中学生から。
控除は、税金申請の時に身障者に人数と手帳の有無等級等を記載する必要がある。
各種機関に身障者割があれば使用可能。
こんな感じかな・・・

とりあえず、ふれあい(障害を持った方への冊子(川崎市版):毎年改定)をもらってきてから、再度書いておこうと思います。

でもやっぱり複雑だな。
お兄ちゃんの移動の際、ちょこちょこ出てきた療育手帳。B2にあがってから出番も減ったけれど・・・
それでも申請交付はいまだに繰り返している。
特に何かで使っているわけじゃないけれど、おにいちゃんは持っていてよかったと思う事が多い。
でも、これから3人で移動の時に2冊提示なんだな。
なんかそれが、ちょっと受け入れ難い。

障害者の兄弟の割合。
国が出している数値より、実際はもっと多いらしい。
私もそう思う。
センターでそう感じる。。。
1人目が発達障害で、2人目も必ずというわけではないけれど、その確率はやっぱり高い。

手帳を交付すること。
1人目なら仕方ないといえるけど、2人目は私の責任という引け目もないわけじゃない。
でも、彼が生きていくうえで、援助はやっぱり必要なんじゃないかって先生も言っていた。

許して下さい・・・。

ちなみに、発達障害の知識に関して、いろいろまだ知られてない事が沢山ある事に気が付いた。

川崎市の全ての小学校で、支援級のクラスを持っている。作ることが可能。
小学校の越境は、自分の学区の小学校の校長先生と、行きたい学区の校長先生がOKを出してくれたら可能。
小学校入学時の支援級への編入は、川崎市総合教育センターで相談を受ける必要がある。
小学校入学時と入学してからの支援級への編入の敷居?やり方?がちがうらしく・・・
入学してから支援級にいれるのは、倍手間がかかると聞いた。入学してからにしようとか安易に考えない方が良いみたい。
ちなみに
療育手帳もってなくても、支援級に在籍は可能です。
療育手帳持っていなくても、施設も通所可能です。(ピンクの紙、 通所受給者証 を役場で申請する必要があります)

こちらの世界に入って、そろそろ10年。
人に感謝する事が当たり前になり、いろんな知識も増えたけれど、まだまだカミングアウトする事にドキドキしてしまう。
”発達障害”という言葉も、良い意味でも悪い意味でも広がってきたなぁと感じている。
だからこそ、個々それぞれの必要な情報を流してあげたい、他者に渡したいと思ってる。

今月中学校見学だって。支援級のね。

もっと勉強しなきゃだよね。
自分の為にも、子供達の為にも、そして一緒に生きてく人達の為にも・・・。

 

とりあえずこれを書いておかんとね・・・。
日付がだいぶ空いてしまいました。

旦那さんの入院生活について、続きを書いておこうと思います。
入院生活の大変な所は良く書かれてますが・・・
今回は、私の変わった視点でお送りさせて頂こうかなと思います。


病院に搬送された後、連絡をくれたのは、旦那さん自身でした。
私「もしもし。」

旦那「入院することになった。」

私「え?!大丈夫なの?」

旦那「今その手続き中。とりあえず携帯持ってきて?」

私「今すぐ行っていいの?他に何かいるの?」

旦那「実は・・・・で、こんなせつめいをしてもらって、、、かくかくしかじか」

「(NS:すみません・・・長くなるなら別の電話で・・・)」

旦那「とりあえず携帯持ってきて。」

ポカーンとする私。

実はその前に
突然のことで冷静な判断ができなかったので、とりあえず誰かに助けてもらおうと思った。
そこで、いろんな人の顔を思い浮かべる。
義理母、義理父、自分の母・・・・etc
目を閉じて、自分の心を落ち着かせてみた。とりあえず誰なら助けてくれる?
義理母・・・だめだ。この人に話したら、この人が倒れてしまう。
義理父、絶対義理母がくっついてくる。
母、頼りになるけれど、遠いし、相談しても何もならない。
友達・・・迷惑かけちゃう、あとは・・・

そう思い返した時、おばさんがでた。あまり連絡を取ってないけれど・・・
誰よりもしっかりしてて、何かいいアドバイスをくれるはず。

電話を掛けたら、この判断があたっていたようで・・・
持っていくべきもの、必要なものを教えてくれた。
子供を預かろうかとも言ってくれたけれど、旦那の様態が落ち着いていたし、子供が会いたいといったことで、連れていくことにした。

おばさんに言われた荷物と、携帯+子供たちを引き連れて、電車→バスと乗り換えて・・・
初めての病院に向かった。
息子が生後1カ月で入院してたから、都会の病院には感激してたけど・・・
病院の第一印象・・・・うわ・・・ぼろい。(失礼な奴!!)
実家の中央病院(私の町の奴は改装してきれいになった)を思い起こさせた。

4階建て。
入口付近に救急いりぐちがあって、入ってすぐが受付、右側に広がる診察室。
指定された、4階にエレベーターで向かって
部屋に付くともう名前が入ってた。そこは4人部屋。白いカーテンで区切られて、相変わらずなんか作りが古い作り。
セキュリティも甘いし、奇麗な感じじゃないし・・・

でも後で知った話、確かに古いけど、此処は某病院達よりずっとましだと言われてしまいました。

カーテンを開けると、点滴を刺された主人が病院着をきて、寝っ転がってた。
顔色は家にいたころよりよさそう。
「どう?まだ痛い?」
「薬いれてもらって、落ち着いた。」

原因がとりのぞかれたわけじゃないけれど、救急車を呼んで良かったなと思った。
私じゃ結果何もできなかった。人の手助けがいかに力強いかを実感した。

携帯を渡して、主人からなんとなく聞いたが、説明を端折られてわけわからん。

「先生があとで説明してくれるらしい。」

旦那の言うとおり、先生がやってきて、別室に移動。
そこで説明を聞いた。
原因はやっぱり胆石。

(参照:https://health.goo.ne.jp/medical/10I60100

主人の場合は、胆管は、十二指腸乳頭にむかって狭くなっていくのだけど・・・
その狭くなった所に石が詰まって、それが動いて今回の発作に至ったとの事だった。
ちなみに、その石の出所は不明なのだけど、今回の検査で、胆のう内の発覚している大きな石、以外に胆のう内に複数石を持っている事が発覚した。

今回運ばれたのは消化器内科。
処置として、乳頭を切開して、胆管から石を取り除き、胆嚢から石が落ちてこないようにチューブを入れる。
そして、別の日に再度入院で、チューブの抜去と胆のうの摘出を行う事になった。

と告げられた・・・。
 

そこで思う。

私「全部まとめて出来ないんですか?」
何度も入院するのはてまじゃんか!!!!

Dr「ふつうは一緒にやらないんですよ。」
普通なんて聞いてないし。

私「一緒にはできないものなんですか?」

Dr「分野が違うんです。私は内科なんですが、今回は内視鏡を使って処置します。その後は外科の先生と連携を取ってから、腹腔鏡で外科の手術となります。」

とのこと。なるほど!確かに一緒にやってくれという人がいて、一緒にできないと先生が言うはずだ(笑)



すみません

時間かかってるのでまた書きます!!