昨日電車に乗ったら、
20歳に満たない男の子が、1人でしゃべりながら、うろうろしてた。
最初は誰かとしゃべってるようにも見えたけど
よくよく見ると、1人でしゃべっていて・・・
ああ。と悟った。
そして彼の事を観察していた。
見た目は結構好青年なんだけど
多動と独り言がとまらない。そして口に手を当てつつもにやけている。
というより笑っている?
うちの子もそうなんだけど
多動がある子は、おしゃべりも止まらないんだよね。
誰かと何かを話したいというわけではないんだけど、たぶん自分の感情がとめられなくて
うちの子なんかは1人2役でしゃべってる時がある。
害がないので、見守ってるけどね。
そんな彼は、誰に何をするわけでもなく
目的になると降りて行った。周りの人にはどう見えただろうか。
なんどもいうけど
人は自分と同じものではないものを違うものとして認識する。
それが同じ人間の形をしていても、もう人間ではなく別の生き物。
それが理解できるかできないかで、受け入れるか受け入れないかを決めて
それが害があるかないかで、許せるか許せないかを決めている。
私の子供達は、障害者なんだと思う。
どうやって障害者が生まれるのか、もしかしたら私が障害者なのか
そんなのわからないけど
そもそも”障害”って、普通の事が普通の人みたいに出来ないから
普通の人が勝手につけた名前=障害であって
彼らは彼らなりに、生きている世界で正しいものや好きな物を見つけて
一生懸命生きている。
呼吸だってする。
ご飯だって食べる。
学校にだっていく。
勉強だってする。
近所の人にだって挨拶する。
愛してくれる人に好きだと言って、してくれた事に、ありがとうと言葉を返す。
障害の何がいけないんだろう。
私はもうこっち側の生活が長いから見えなくなってくるんだろうか。
障害者施設を近所に建ててほしくない。
障害者なんて生きている価値がない。
幼稚園児ですら受け入れてくれない環境で問題になるのに
障害者を受け入れてくれない事なんて、問題にもしてくれないのだろうか。
彼らはけなげだ。そして無知だ。
普通の人間に普通の人間になるようにむりくり強制させられて
最終的には就労施設に入れられて、くそありえない賃金で働かせられる。
それが普通だと、普通の人間の見えるところに出てくることなどあり得ない。
障害者の犯罪率が高いのは、ルールを教えてない普通の人が多いから。
それでも、障害者だからと、理解できない行動が多いからと忌み嫌うのだろうか。
私は、わが子を障害者扱いしているつもりはない。
かわいそうとか、そんな思いを感じた事はない。
確かに普通の子としてこの世に生み出してあげなかった事は申し訳なかったかもしれない。
でもね、毎年毎年彼なりに成長している息子達を見て
この子達が、自立と呼べる生活についてくれたら、好きに生きられる場所を見つけたら
私はそれでいいんじゃないかと思っている。
その為にやっていはいけない事、ルールや時間を守るという事(私も時間守れないけど)
人に愛される事、人を大切にする事、挨拶をする事など・・・
人間同士の生活の為に必要だと思う事を、1つずつ教えている。
障害者だから出来ない事もあるだろう。
でも、普通の人間だってできない事も山のようにあるじゃないか。
障害者を改善するために、努力して普通の人間のように生きる必要はない。
と私は思う。
彼らの個性をまもりつつ、普通の人ともルールを守って生きていければ
お互い、壁があっても、同じ空間にいられるのではないだろうか。
いろんなタイプがいる。
うちの息子だってだめだっていうタイプもいる。
受け入れてくれとは言わない。
でも、見てないふりして、ちょっとだけ見てほしい。
皆同じように努力している。
何が面白いのか、独り言言いながら、に焼けて、電車に乗って・・・
でも、自分でおりたい目的地に降りるって、あたりまえだけど、出来るんだ。
彼は彼なりにきっと努力して、今を生きている。
障害者を嫌わないでほしい。
彼らだって一生懸命生きている。