世の中が便利で、いろいろなものが身近に存在するようになると

人は我慢を忘れていくのかな。


いつだって思ってた。今年の夏。

”愛媛に帰りたい。”


愛媛・・・私の実家なんて住んでいる場所から1000キロぐらい離れた場所。

昔は一度出発したら帰られる場所じゃなかったのに

今は2時間ぐらいあったら帰れちゃう場所になったんだ。


飛行機、バス、車・・・なんだって帰れるんだ。


それでも、私は、お腹の子を選んで、実家に帰る事を諦めた。

これは私が選んだ事で、”我慢”しなきゃいけない。


でもいつだって、ぐじぐじといい続けている。

カートを引く音、偶然見かけた愛媛ナンバー、お母さんと同じ車・・・

色んなものを見るたびに、愛媛への心を思い出し、


「あぁ・・・帰りたい。」

そう思わずには居られない。



昨日、知人からメッセージが飛んできた。

”明日から、バスの運行が、休日運転になる。”


たぶん、たった数日の事なんだろうとおもう。

お盆休みだから、休日運転になるんだろうけど・・・去年まで平日運転だったんだって。

きっと今日会社なんだろうなぁって思ったけど


そこに住みたいとおもって、住んでいるのは本人自身だ。

それは”選ぶ”事であり、私と同じく”我慢”が求められて、やっぱりぐじぐじいっちゃいけない。

でもいっちゃうんだよなぁ。


それが人なのかな。





今日この記事を書こうと思ったのは・・・

これはなんにでも言える事だと思ったの。


いっちゃえば

世の中で、自分は違うと思っている”飲酒運転”とかもそうだと思う。


身近にあって、自分が”選んだ”事で、”我慢”しなきゃいけない事だってあるはずなのに


大丈夫だろう とか

この我侭ぐらいなら許されるだろう とか


そんな、どっちもとろうなんて甘い考えは、きっと何処でも許されないと思う。



新しい命をとるのか、自分の希望をとるのか

便利な場所でも狭い家をとるのか、不便でも住みやすい家をとるのか

酒を飲んで代行をよぶのか、家まで我慢してゆっくり飲むのか


どっちかだろう。



それが”我慢”だよ。




私日記を書くとき、大体音楽を聴きながら書いているんだけど

スピーカーで聞いていたら、旦那さんが飛んできて「ボリューム下げなさい」といわれた。

考えてなかった私が悪いんだけど・・・


聞きたいなら音下げて聞くか、イヤホンにかえるか、嫌なら聞くのをやめる。


誰かと一緒に生きるという事は、いつだって選ぶということだ。


家族も、公共機関も、他人を思いやる気持ちを忘れちゃいけないってことだと思った。





私もぐじぐじいわない。

自分で決めたことだもん。


たまにつぶやくけど・・・いいんだって思う。


いつまでたっても、私の世界で一番大好きな場所は、自分の生まれ育った家なんだけどね(笑)