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斎名智子です。

 

「ピュリファイ」とは、ピュアする、という動詞です。

 

自分自身の純粋性を高め、ピュアに生きることは

 

本当の自分に還ること。

 

 

 

欲しいものを手に入れて

 

自分らしく生きていくことは

 

とても「楽なこと」なんです。

 

 

頑張ったり、我慢してる時というのは

 

何かがずれている。

 

「欲しいものを手に入れるには

我慢しないといけない時もあるんだ、(嫌なことを我慢して)頑張らなければどうしようもない時もあるんだ」

 

そうやって言う人もたくさんいます。

 

 

私も、そうなのかな、と思った。

 

が。

 

実際にやってみて思うのは

 

やっぱり,それは違うんだ、と言うこと。

 

 

 

はああーーー、、、、

 

 

でも、一度頑張るを経験してみたからこそ

 

それは違っていた、と言うのがわかった。

 

必要じゃない経験なんて一つもありません。

 

 

 

 

 嫌なことを歯をくしばって我慢して頑張ることは、やらなくていい、

 

 

いや

 

 

それは、

 

自分が「やるべきではないこと」なのです。

 

 

何かが間違っているだけなのです。

 

自分ではない誰かがやることを

 

間違って自分がやらないといけないと思い込んでいる(思い込まされている)だけなんです。

 

 

 

その間違っている、ずれている、「何か」

 

それを自分で見つけるのは、限界があります。

 

だから、第三者の手を借りるのです。

 

 

 

 

 

 

私は、去年、離婚を経験して

 

土台だと思っていたものが崩れていく経験をしました。

 

信じていた世界が、嘘だった、という経験をしました。

 

 

その現実を選んでいたのは自分。

 

だから、自分が信じられなくなりました。

 

世界も信じられなくなりました。

 

 

 

「今の自分のままではダメなんだ」

 

「もっと頑張らなければ、欲しいものは手に入らないんだ」

 

 

そういう思いに、私自身ももれなく囚われるようになりました。

 

そして、うまく行っているように見える他人の真似をしようとしました。

 

他人と比較しては、できていない自分を責めるようになりました。

 

 

 

そんなこともあった。

 

そしてぐるぐるっと遠回りしてあっちこっちぶつかって

 

 

結果、たどり着いたのは

 

「今、ココ、この自分」だった。

 

 

 

それは同じ場所のようでもあり

 

2度と出会えない場所でもある。

 

 

 

 

今、思うのは

 

結局、「自分であること」でしかない。

 

 

本当の意味で「自分であること」ができている時というのは

 

楽である。

 

楽しくて、楽で、軽くて

 

肩の力が抜けている。

 

 

 

 

楽しくて、楽で、軽くて

 

肩の力が抜けている時というのは

 

心に余裕がある。

 

 

心に余裕があって初めて

 

私たちは、他人への思いやりや慈悲の心を

 

実際の行動に変えることができる。

 

 

 

その状態だからこそ

 

楽しくて夢中になって、何かをやり抜いてしまえる。

 

それが、真の「頑張る」の意味でしょう。

 

 

 

 

ピュアな自分

 

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斎名智子