正しい我慢のススメ。

 

最近知った仏教の豆知識ね。

 

 

日本では、昔から(なぜか)我慢が美徳だとされてきました。

 

実際はいつ頃からそうなったんだろう、、と思いますね。

もしかしたら明治維新後だったりして。

そうしたらそれほど歴史も長くない。

 

 

私たちは、子供の頃から我慢しなさい、と大人に教えられてきました。

それを教える大人たちも

子供の頃から我慢しなさい、と言われ続けて来たはずです。

 

 

大人になっても私たちは

多くの場面で

我慢しています。

 

理解できない話を我慢して聞く

生理で辛いのに我慢して仕事に行く

風邪で熱が出ても我慢して働く、、などなど

 

 

実際、そのほうが、よかれ、と思って我慢している場合が大半では無いでしょうか?

 

自分さえ我慢すれば丸く収まる、、、

 

 

 

さて、その我慢と言う美徳の

語源を調べてみたのですが

なんと

我慢も、煩悩のひとつと言うのです。

 

 

我慢も、自己中心的な慢心と変わりがないんです。

 

 

 

仏教では「慢」を「自分を高く見て人を軽視する、自己中心的な思い上がりの心」とし、

その中に「三慢」「七慢」「九慢」などが説かれていて、

我慢は「七慢」のうちの一つだと言われています。

 

どなたかの説明を引用させてもらいました〜

 

 

 

自分さえ我慢すれば丸く収まる、、、

 

と言う心が

 

自己中的な慢心の心。

 

それを聞いて皆さんどう感じられるでしょうか?

 

 

慢という心は

人と比べて自分の方が上だと思い上がる心。

 

ここでは、転じて

自他で上下を作ることが問題である、

そう理解しています。

 


また、本当は自分は「我慢したくない、他に反対のことをしたい、言いたい」と言う本音を持っているのに

それを自己保身のために、表現しないでいる。

 

そんな我慢なら、相手に失礼でしかないな〜、とわたしは感じます。

 

 

我慢して耐えることは美徳ではない。


耐えてる自分にどこか酔っているナルチシズムもありそうです。

 


「我慢も煩悩。逆に相手に失礼なこと」


そう言う風にさっさと新しい情報に書き換えてしまいましょう。

 


我慢をやめて、本音を伝えていきましょう。

 

シンプルに生きましょう。

 

心を磨く我慢はありです。

何かを修練、鍛錬する時など。

 

心を殺すような我慢はもうやめようね。

 

 

斎名智子