おはようございます。

斎名智子です。

 

わたしは以前、座禅ばっかりやっていた時期があったんだけど

その時に意識していたことは

 

「自分がない」

「自分を無くす」

 

この場合の自分ってなんなのか? というのもガンガンに探求しまくった。

 

自我がないと人は生きていけない

 

でも、「その瞬間、自分が一切ないことに気づく」ときの自分は、自我、なんてものも超える。

 

 

 

この芸術祭の発起人でもある小林芙蓉先生を見てると、本当にすごい、と思う瞬間が何度もある。

特に、ご揮毫されてる時は、自分なんて一切無い、というのを

側で見てる人もよくわかる。

最後に龍を呼ぶための呼び声を雄叫びのようにされている時なんか、わかりやすいですよねー

 

 

 

自分がない、というのは、結局、自己保身しないで表現する(自分の意見を言う、行動する、広める)ということなのですよね。

 

普通、自我を引き合いに出すと、大体みんな自我を悪者にします。

 

でも、自我がないと、、人は生きていけないです。

 

やりたい、欲しい、、、というエネルギーの元と繋がるのは自我ですから。

 

自我はあっていいのです。

 

 

その自我を持ちつつも

結局、行動できないことだけが問題なのです。

 

行動しないと、脳内だけで終わってしまうお花畑と同じなのですから。

 

 

行動するために、自己保身を捨てること。

 

それをする時に、保身したい自己(自我)などない、ということ。

 

それらを自我で意識していく、と言うように

自我をうまく使っていきましょう。

 

 

恥ずかしい

怖い

モジモジする

 

わたしも、自己保身してしまいますよ。

皆さんと同じですよ!

 

けど、保身する自我など無い。

 

それをわたしがみんなに率先して行動で示していきます。

 

 

保身する自我を持ってしまうのは

 

単に、自意識過剰になっているだけです。

 

人にどう見られるか、、、というのを過剰に意識しすぎている。

 

あの人に嫌われるかも

怒られるかも

無視されるかも

嫌なこと言われるかも

 

脳内で行われるであろう、そういうシミュレーションがもしボワ〜ーんと出てきたら

 

 

「あー〜ー!!わたしって自意識過剰〜!!」

 

ってつぶやいてみてください

 

 

リセットできますよー

 

 

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うちの神棚を本格的に綺麗にしています。

 

京都はいい神具店があってテンション上がるー

最低でも350年の木を使うそうです。

 

 

 

 

斎名智子