今日はカタヨガでした。

友達からもらった梅を急遽いけてみました。

1月に梅が咲くなんて

今年は随分とせっかちさんみたいですね。



定期的に行ってるカタヨガは

時間が長いの。

2時間半です。

その中で、なるべく、みんなと少しでも話せる時間をいれるようにしている。


もちろん、話さなくてもいい。

少人数で、毎回集まれる人が集まり

同じ空間でヨガができる。



ヨガとは、自分の中心と繋がる時間。

自分と繋がったわたしと

自分と繋がったみんなと繋がる時間。




すべてはプロセス。

カタヨガの時間のなかで感じた何かのはからいが起きて


悩みが悩みではなくなる

悩んでたことが、とても小さなことに感じられる

 
多くのことが言葉で説明され、分析して、解釈されるなかで

言葉を使わずに

自分の体を使いながら

自分の感性を感じながら

そこに至れるプロセス。



それが起きないときもあるし

起きるときもある。



今日みんなに話したわたしの話をシェアします。
(時間なくて内容はしょったから)


わたしが最近自分で気づいた体験ね。

許せない人や許せない出来事を許すことで

「自分自身の深いところが最も癒される」こと。


そんなことが起きている。

自分が一番びっくりです。



以前は、わたしもブリブリとよく怒ったり、許せない!と思ったりしていました。

許せないものを許せるわけがないと思っていました。

けれど、許すと、深い深い癒しが起きるんですよ。



それを意識的にやり続けていると

いかに自分がまわりをジャッジして、勝手に相手を悪者にしていたか、というのも見えてきます。

恥ずかしくなりますよ(笑)

面白いのでずっとやっています。



どうやって許すのか?


許す、と決めるだけです。

意識を持つだけです。



結構簡単です。

許せない!となるときもありますよ。

でも、そのたびに小さく許しのジャブを入れていく。

そして、癒しのプレゼントを受け取っています😊



最近おきた、身の回りの様々な出来事やひとを許していく過程で

昔の出来事などももちろん思い出されてきています。


子供の頃、祖母に対して許さないと思っていたことや

母親に対して許さないと思っていたこと。

それらを、許すと決めて許す。



そこで見えてきたこと。

許すとは、相手がありのままでいることを認めることなのだなあと。


そして、

許すことと
自分の「嫌」は、同時に成立するということも知りました。



相手はありのまま生きているだけ。

それはそれで、手のつけようがありません。

そして、全く同時に起きる、わたしが感じる「嫌」も、手のつけようがない。


それでいい、ということが

「許す」ことから見えてきます。



それは、許さない(ありのままを認めない)ままの、「わたしの嫌」とは別物です。




感覚でいうと

どこか平面的だったものが

立体的に感じられています。





わたしもいまはまだここまでなのですが

「許せない相手を許す」ことを

ゲームのように自分の中だけでいいから

ぜひ、興味ある人はやってみてください〜。😊

癒されるよ。

良かったら。




読んでくれてありがとうございました😊

これを読んでくれた方も

わたしも

自分自身が愛そのものであることを

思い出すきっかけになれたら

すごくハッピー💕



今年に入って2回目の大吉〜😊💕








ともこより